姉川 真柄兄弟(親子) 

姉川合戦図屏風、真柄十郎左衛門直隆です。

黒毛馬の馬上で異様に大きな刀(五尺三寸約175cm)「太郎太刀」をブン廻しています。本多平八郎が長槍ならばこちらは超長刀。

徳川方の評価は「大力剛者、大太刀で無類に働く」とあります。

朝倉家の家臣、十郎左衛門直隆は弟真柄直澄と直隆の子の隆基と姉川合戦に出陣し、結果、悉く討死しています。三人とも(兄弟同一人物の可能性もあります)勇猛で大身の刀を振り回し(実際に使用したか判りませんが九尺五寸288cmの刀があったと聞きます)敵を寄せ付けなかったことからこの合戦で大いに名を残しました。

 もともと「斬馬刀」という騎馬武者の突進を低位から馬の足を払って(斬って)武者を落馬させるための刀がありますので九尺五寸ほどの長さの刀となればやはり振り回すよりも最初から地に付けるように待ち、走り抜けようとする馬の足をめがけて差し出すようにして斬ったのでしょう。衝撃等勘案し、事前に杭など適宜打っておき、それを支点にして振ったかもしれません。

普通の人間が振り回せる重さではないでしょう。(九尺五寸のものは一乗谷に来た足利義昭に見せるために8人がかりで家臣が運んだといいます)

 黒沢の「影武者」で、信長が長篠の馬防柵の鉄砲隊に「馬を狙え」と下知を飛ばすシーンがありましたが、騎馬部隊の突進を防ぐ戦法として「馬狙い」は常套手段です。ところがここでも日本人と欧州の戦いにおける考え方の違いが判りますが、欧州の剣道、フェンシングの騎馬民族の競技から出た「サーブル」という種目では「馬狙い」は「卑怯」にあたりますので選手の腰から下の部分への攻撃は反則となっています。日本人に流れる「卑怯道の伝統」云々もそうですが何しろ馬が可哀そうすぎますね。

 

名古屋熱田神宮の刀剣の所蔵は著名ですがこちらに直隆の大太刀と言われる刀があるそうです。ここは展示スペースの関係で内容を変えますので観覧はタイミングが良くなければ難しいかと思います。