不退転 乾坤一擲

不退(転)の文字が記された古い墓石-当山
不退(転)の文字が記された古い墓石-当山

イイ加減にこのネタから離れたいのですが、本日天候に恵まれているにも関わらず、門前の道路工事の予定がはいりましたので自宅待機中です。

あのだれかさんが好んで使う熟語について語らせてください。

以前にも記しましたが「不退転」と「不退」は同意ですが辞書的に言えば「信念を持ち、後戻りしない」ことです。

この言葉は真宗専らの旗印みたいな言葉で蓮如さんの御文様(五帖-五 信心獲得しんじんぎゃくとく)にも表された(「正定聚不退の位に住すとなり」)言葉であって真宗の宗旨の1つ「平生業成」の教義を説明するに対として頻繁に出てくる言葉です。

しかし本来の「不退」は信心(南無阿弥陀仏)あってのもので「利益・利潤のみを追求する輩」に雰囲気たけで軽口の如く口に出されるのは耳に障るのです。

要はこの「宣言」は仏になるという信念の結果であり、ましてや仏敵であると思われる者に語られたくないというのが私の思いです。

 また、「天とは仏道」と記しましたがあの人の天は仏道ではありません。乾坤一擲の「乾坤」とは「天地」ですがここで彼が使った意は

「一か八か」の丁半バクチに譬えた話です。「一か八か」は・・・

「一」は「丁」「八」は「半」の各漢字の上部分をとったものですね。

 

「乾坤一擲」の「一擲」はまさにサイコロを投げることです。

要はあの方の「丁半バクチの勝負事に我らがお付き合いする」ということのようであます。本人はカッコイイと思って使っていますが本意を知って使った言葉でしたらその開き直りに腹が立ちます。

 

「乾坤一擲」  韓愈「過鴻溝」より