運は天にあり 「春日山城壁書」

凪の東シナ海の日没
凪の東シナ海の日没

「正々堂々」と気軽に、しかし肩ひじ張って仰る方がいらっしゃいますが(特にあのソーリ・・)もともとこの言葉は戦国軍師必読の書「孫子」、「軍争篇」の

正正の旗、堂堂の陣」が出典です。

戦いに「勝つ」ためにどうしたら良いのかについて記したものですが、そもそも「正面から儀礼にかなって、また、潔く正対する風の素晴らしさ」の如くの意味ではありません。

ではその「勝つため」にはどういう心構えでいるかというと・・・・

 「正々の旗を邀(むか)ること無く、堂々の陣を撃つこと勿かれ」

「しっかりと整列し士気が上がって進軍してくる軍隊はそれを迎え撃ってはならない 戦ってはならないというのが本意です。

要は負けないため、失敗しないための忠告なのでした。 

よって本来の趣旨からすれば「正々堂々と戦う」なんて言葉は「戦国」風に聞けば?????になってしまうのですね。言葉じりをつかまえて知ったかぶって人をどうのというのも片腹痛いと一笑にふされましょうが、(今で言えば使い方は一応間違っていません) こと、あの手の人がこの言葉を勇ましく言えば言うほど「滑稽なこと」「痛い人」と思えてしまうのは私だけでしょうか。(特にドジョウソーリに限りませんがその手の方々の話には譬え話と四文字熟語、そして客観的に見て至極当然である言葉を頻繁に使用しますね。

例えば「一歩一歩」「一日一日」「一つ一つ」「しっかりと」「協力して」「責任を持って」「不退転の決意で」「乾坤一擲」・・・キリが無いからやめますが全部当たり前のことばかり、また抽象的な言葉の羅列ですね。

 肝心なことは「何についてか」なのですがね。

そんなのばかりで「ご理解いただく」なんて私にはついていけません。 

また「自らの責任」って不思議な言葉。  これから死んでいこうとする人間に「責任」なんてハナから無いですよね 思いあがりも甚だしい男です)

  

 さて「勝つ」という概念は相手を「負かす」ことであり相手を貶めることが第一義。その「勝つ」ことのみに執着し、「結果All Right」という考え方が顕著になれば「卑怯道」こそが生きる道となるのでした。(昨日のブログ・・)

「卑怯」とは今でいう「正々堂々」の逆の意なのですが往々にして「正々堂々」を口にする人間こそがその卑怯道全開で突き進むというのも近世の政(まつりごと)の倣いのような気がします。

 

 並み居る戦国期の大名小名の中でその「卑怯」「卑劣」なことが大嫌いで早々に出家して「義」に生き抜いた人と言えば長尾景虎(上杉謙信)です。

他国を切り取って自らの領国を増やすということには目もくれずに、領国支配に専念し、彼の行った戦略行為には必ず大義がありました(小田原攻めでは暴走してましたが)。その仏道に即した生き方は他を寄せ付けない突出した思いがあったと思います。

 鎮西八郎の「運を天にまかせて」の沖縄の運天港を思う時、私はもう一つの言葉が思い浮かびます。

それが「春日山城壁書」の冒頭です。

 

運は天にあり

鎧は胸にあり

手柄は足にあり
 

何時も敵を掌にして合戦すべし 疵つくことなし

 


死なんと戦えば生き 生きんと戦えば必ず死するものなり
家を出ずるより帰らじと思えばまた帰る
帰ると思えばぜひ帰らぬものなり


不定とのみ思うに違わずといえば 武士たる道は不定と思うべからず
必ず一定と思うべし

2011年 次男が走るグラウンドから望む白岩寺公園        手柄は足にあり
2011年 次男が走るグラウンドから望む白岩寺公園        手柄は足にあり

天とは仏道のこと

命運は仏にまかせてある。

我がこころざしは鎧の中に護られている。

仏への手柄の大小はこの足にかかっている。 

仏敵に向かうに完全に掌握すること。そうすれば疵つくことはないのだ。

御身大切に死なないようおどおど戦えば死に、死ぬつもりで一所懸命に戦えば生きるもの。家を出たときにもう帰れないと思えば帰ることができ、帰ってこようと思えば絶対に帰れないのだ。 

仏の定めた命運に逆らえるものでは無いと考えてはならない。武士たる道を歩む者こそ自身でこれと決めたことに命運を掛けて進むべきである。

 

・・・・利によって合した仏敵は民を捨てます。民はいつも貶められているばかりでしょうか。本日はより一層支離滅裂になりました。 

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コメント: 4
  • #1

    新潟の人 (金曜日, 12 9月 2014 01:37)

    なるほど、ご住職さんでしたか・・・。いろいろと解釈があるようですが・・・、貴殿のものが一番なじむ感じがします。個人的にはこんな風に実直に人間が生きるのも一興かなと思っております。

  • #2

    今井一光 (金曜日, 12 9月 2014 07:07)

    ありがとうございます。
    自分でも少々驚いています。
    ブログも時間が経つと目を通す機会は減って、たまに目をやると「ふーんそうだったか・・・」と当時のご時世やら、私自身の齢を重ねて変わっているのかいないのか、今の私との違いなどをも含めて感慨深く改めて今を見通すことができました。
     そしてまた「なじむ」という最上級の言葉で修辞いただきましたことはとてもうれしく思いました。
    最上級の言葉とは「和み」「親しみ」「融和」を思わせ、「違和感なく」受け入れて頂いたという「褒め」の言葉であると感じたからです。
    発展途上の坊主で「出過ぎた真似」が多々ある身です。
    にもかかわらず、おつきあいいただいてありがとうございます。
    今後もどうぞよろしくお願いいたします。

  • #3

    新潟出身埼玉在住塾講師 (木曜日, 30 4月 2015 04:20)

    仏様の教えに沿った解釈を探していて行き当たりました
    一般に流布しているものとは一味違ってなるほどと思わされました
    大いに参考になりました

  • #4

    今井一光 (木曜日, 30 4月 2015 10:19)

    ありがとうございます。
    思いこみで記した稚拙な考えと文章をお読みいただき感謝いたします。
    そのように返信いただけることに何より嬉しさを思います。
    謙信の生き方は私ども真宗門徒(一向宗)のそれとは方向が違いますが
    戦国期為政者としての仏弟子たるその姿をこの世に出現させたものでした。
    共通項は「一所懸命に生き抜く」であり、特に気概を感じる人です。
    信長が一目を置いて、献上品を送ったということも頷けます。