本年初 ハイビスカス 「卑怯道」

好天に恵まれて
好天に恵まれて

今年初めてピンクのハイビスカスが咲きました。画像では発色がうまく出ていませんが、この花に美しさ愛(いと)おしさを感じます。

冬季は家の中と梱包ビニールで巻いた俄か作りの「インチキ温室」に分散して退避させていましたがあまりの今年の寒さで一時は全滅かと思っていました。

さすがに枯れてしまったものも有りましたがとりあえずほっとしたところです。横浜から転居してきたときにハイビスカス、ブーゲンビレア、ガジュマル、ベンジャミン等そっくり相良に持ってきました。当初は夏季には見事に花が咲き誇っていました。

すべて沖縄への思いから育てだした植栽ですがガジュマルはお蔵の前に地植えにしています。冬の寒さには滅法強くて冬季、多少の葉の変色はありますが毎年大きくなっています。

ガジュマルにはキジムナーといういたずら者の妖精が住むといわれていますが、沖縄在住当時、私のボサボサ頭を見て、周囲の人たちから「キジムナー」と呼ばれていたことから、愛着も湧き出で、花は付けませんがずっと付き合っています。

ブーゲンは上手くいけば地植えに出来て冬の寒さにも耐えてくれますが境内は南西方向に本堂があって多くの時間、日陰になってしまいますので彼らにとって環境は良くありません。しかし何とか地植えのものが2株、鉢植えが2株が生存しています。鉢植えの濃いピンクがそろそろ咲き出しそうでこれも楽しみです。(彼女は湿気水分の土壌が好きではないので昨日の雷雨に晒されたのはよくありませんでした)

ハイビスカスは地植えは悉く失敗していますのですべて鉢植えです。

また、花の色によって強さが違います。赤系は強く、黄色、白となると著しく寒さに弱いので、今では赤、ピンク系しか残っていません。また観葉植物のベンジャミンも地植えを何度か試みましたが絶対に無理の様で今、鉢植えが1本残るのみです。そもそもベンジャミンは大木系(ゴムの木)ですので家の中は可哀そうに感じました。

 さて私の沖縄時代の住居は読谷村、恩納村、石川東山(現うるま市あがりやま)を転々としていましたので北部には滅多に行くことはありませんでしたが、石垣が美しい今帰仁城(なきじんじょう)への帰りに例の「運天港」の碑に出くわしました。「源為朝公上陸之趾の碑」です。あいにくその画像は現在見当たりませんので各検索を・・・。

 私は今回の大河ドラマは先日の「保元の乱」からデビューしました(そのように決めていました)。そこで断トツのパワーで弾けて描かれていたのが鎮西八郎為朝です。為朝は崇徳上皇側で「負け組」に入ってしまいましたので再起を図るべく敗走します。彼もまた(ブログ中の野間と伊勢原の件と同様)裏切りの上、風呂場にて捕縛されてしまいました。彼は伊豆大島に流されて島々を支配した挙句討伐の手を受け大島で没したといわれますが、何故か琉球の今帰仁村運天港に上陸したのち琉球を支配したという伝承があります。伊豆を脱出した為朝が、航海中に嵐に遭遇し、「運を天にまかせて」辿りついたのが、この港だったという話です。

 

日本人の「正当な戦いの方法」はやはり奇襲、夜討ち朝駆け、が主流で個人的に屈強な者に対しては「風呂場」が伝統的戦法であることがよくわかります。ピックアップしてみると近代に至るまでかなり挙げられそうです。

これはクールに考え、一つの戦法という形で確立したその「道」を敢えて記せば・・・「卑怯道」。口では政治家さんみたいに「正々堂々」とか仰々しく口に出していますが腹の中では相手を何時足をすくってやろうか、出し抜いてやろうかを考えているというのが「我国の伝統」なのかも知れません。まぁ少なくともそういう血は流れていることは間違いありません。

それは歴史が証明しています。