不如帰 時鳥 子規 

正林寺 山門前緑地帯に佇む観音様
正林寺 山門前緑地帯に佇む観音様

いつも夕方ばかり眺めている塩買坂に朝から行ってみました。塩買坂は、金谷から静岡空港、牧之原インターを通って丸尾原、朝比奈原そして鬼女新田、須々木海岸へと北から南に抜ける大井川西岸の牧之原台地から鋭く西方に枝別れして伸びた台地の上部と谷を継ぐ坂となります。

 

坂下の正林寺はやはり西側を底辺とした鋭い二等辺三角形状に台地に突き刺さるような形の谷にあります。

 

台地のトップに立てば遠くに靄がかかった高天神の台地が望め、耳をすませばホトトギス(不如帰・時鳥・子規・・・)の声が物悲しく寂しげに聞こえてきます。

秋葉道標 塩買坂「三種の神器」撤去済 
秋葉道標 塩買坂「三種の神器」撤去済 

五月頃南方から渡ってくるホトトギスがウグイスやあの森林の雄、ミソサザイに托卵することは生物学的に有名なことですが、信長、秀吉、家康の性格をこのホトトギスを使って表現しようとした句もよく聞いた覚えがあります。

 

そして時代劇中ではこの鳥の声が使われるシーンは大抵、人間の不安心理を象徴したものになっているようです。ウグイスとは対照的ですね。

 

また「聞きなし」といって鳥の声を聞く人が人間の声に置き換えて(「東京特許許可局!」はあまりにも有名です)ある程度解釈できるように聞くこと、その解釈の種類の多さは特筆で日本全国に見られます。私が卒業した大学の図書館には柳田國男寄贈図書の「柳田文庫」がありました。在学中は殆ど関わりが無かったのですが今頃になって、もっと活用すればと後悔しています。

そうです、ホトトギスの声の聞きなしのテーマは「後悔」、よって「反省」を促す聞きなしになっていると思います。

その柳田國男の『遠野物語』にはカッコウとホトトギスの「聞きなし」についてその伝承に触れています。
 こんな内容です

『むかし、カッコウもホトトギスも人間だった。カッコウが姉、ホトトギスが妹だった。姉のカッコウはある時、芋を掘って焼き、まわりの固いところを自分が食べて、中の軟らかなところを妹にあげた。いつもおいしいものをもらっていた妹は姉がもっとおいしいところを食べていたと思い込み、怒って包丁で姉を殺してしまった。姉はたちまち鳥になり、「ガンコ、ガンコ」と鳴きながら飛び去った。ガンコとは遠野方言で固いところという意味。妹は姉がおいしいところのみを自分にくれたことに気づき、後悔した。やがて妹も鳥になって「包丁かけた」と鳴くようになった。遠野ではホトトギスのことを包丁かけと呼ぶ。盛岡あたりではホトトギスは「どちゃへ飛んでた」と鳴く。』

 

 

また鹿児島ではこんな話に・・・(福娘童話集より)

『むかしむかし、あるところに、ホトトギスの兄弟が住んでいました。
 弟は生まれつき体が弱かったので、優しい兄が毎日毎日山の中をかけずりまわって、山いもを掘っては弟に食べさせていたのでした。
 でも、弟には兄の苦労がわからず、
「動けない自分でも、これだけうまい物を食べているのだから、自由に動ける兄さんは、さぞや、うまい物を食べておるんだろう」
と、思っていました。
 さて、ある年の事、兄は働きすぎて、とうとう病気になってしまいました。それでも弟のためにと、山いも掘りだけは休みませんでした。その為に病気はますます重くなり、食べ物を取りに行く以外はほとんど動けなくなってしまったのです。
 そんなある日の事、弟は動けなくなった兄を、いきなり殺してしまいました。自分よりもいい物を食べていると思っている兄のお腹の中に、どんなごちそうがつまっているのか知りたかったからです。
ところが兄のお腹の中には、腐った野菜や死んだ虫など、まずそうなものしか入っていませんでした。「そうだったのか」
この時、はじめて兄のやさしさがわかった弟は、泣きながら自分のした事を後悔しました。そして、自分の悪い心をくやみ、本性になった 本性になった」と、鳴き続けました。』

 

他にも弟が盲目であったりと、話としては同じようなものですが微妙にシチュエーションは変わってきます。
私たちは家族に限らず懇意にしている人を実際に包丁で刺したりすることは無くとも、言葉や、一挙手一投足の振る舞いで相手を「殺して」いるかもしれません。

 

 

この日は、充実した一日で、ことに楽しく過ごさせていただきました。

早朝の塩買坂では例の打捨てられていた廃家電が片付けられていました。

ありがたいことです。

寺に帰って本堂裏の濡れ縁の若干の塗装作業のあと、お参りに来られたご門徒さまに近隣のお城とお墓の話を聞いてもらいました。

一方的な持論の展開もあり、聞く方も相当困惑したかと思います。

しかし嫌な顔もせずにしばしの時間、おつきあいいただいて本当にありがとうございました。これに懲りずにまたお参りを兼ねて小生をからかいに来てください。

また、夕方の高天神城、甚五郎抜け道前の馬場平では今年初めて「勝虫」(トンボ)が目前に停まって「これは吉報」(真宗らしからぬ言葉ですみません)と「三ノ姫様」を参拝に、夕には香川のビューティフルゴールを見ることができました。

 幸福度世界21位の日本にあって、私はそんなこんなで「幸福です」と憎らしく断言したい一日でした。(日頃、幸だの不幸だのという言葉を使うことはありませんが、敢えてです。 また、何より 「禍福は糾える縄の如し 「塞翁が馬ですしね)  またへこむ時もありましょう。