当山門前の相良城堀址から掘り出された石の話から石つづきです。
岐阜は恵那市岩村城のご近所の明智の明知城、遠山金四郎(遠山の金さん)の御先祖様のお城です。
天正二年の武田勝頼に攻められたときは信長の援軍は途中で引き返してしまい20数か所に及ぶ保塁を誇る城は「赤備え」の山県昌景の活躍で落とされています。
その城の本丸近くの平たん地の崖上に「柱石」の看板が・・・。
「陣屋の礎石として残されたものである」と断定的です。
「ホントかよぉ?」と思わせるくらい正確な円柱形で掘られていますが疑問が残ります。
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