できないこと

駿府城公園の一画
駿府城公園の一画

静岡市内のご門徒さん宅にお邪魔しました。

御内佛にお勤めしてお茶を頂きながら恒例の四方山話。

その方は昭和50年代に夫を亡くし、縁者といえば夫と前妻との間の娘さんとその子供ですが、最近は一緒に住んでいる「いい人」がいるようです。楽しく明るくすごされていますがそのお話の内容は壮絶でまた頭が下がる思いです。

子供時代は父親のバクチと酒乱に母子ともども大いに泣かされ、その父親の言葉「医者も坊主もいらねぇ、オレの病気が治るのは死ぬときだ」と暴れて吐き捨てる言葉が忘れられないと。連れ添いの不慮の逝去の後、ご本人は癌で二度の手術。快癒ののち、家業に励むかたわら、駿府公園に出向いてはそちらにいるホームレスの社会復帰のボランティア活動をしています。

「外で寝るのは良くない」と知り合いのアパートの家主と交渉し、自身が保証人となって入室の手助けをし、仕事も探してあげたりまたその手伝いをしています。アパート代、光熱費を踏み倒して夜逃げされてそれを肩代わりして支払ったり、仕事のためと買ってあげた自転車の防犯シールから警察に呼び出され警察の安置所に確認に出向いたこともあったそうです(その人は部屋から公園にまい戻ってその植え込みの中で酒瓶を片手にして亡くなっていたと)。とにかく「色々な子(実際に世話になっている人たちは50歳前後)がいて呆れ果てることも多々ある」が、立ち直って就業しお誕生日など機会があるごとに何かしら、「高価なものでは無いけれど手土産を持って顔を出してくれるのがなによりうれしい」とのこと。私が「保証人もほどほどにしないと・・・」と話すと「この年になればそんなこと何らの障害にならない」との達観。どっちが坊さんだかわからなくなります。今川だ徳川だお城だと夢うつつの私の散策には持って来いの場所ですがここにもたくさんの悲しくて厳しい現実、我々の「知らない世界」が必ずあるのです。