桜の森の

こちらは静岡増善寺様 今川氏親廟より安倍川方面を望む
こちらは静岡増善寺様 今川氏親廟より安倍川方面を望む

再び小田原の事。

小田原石垣山の早川側にせり出した展望台からは入生田(いりゅうだ)の山並みが望めます。その山を長興山と呼び黄檗宗紹太寺様がございます。山の中腹のミカン畑の中に大きくて古いしだれ桜があっておそらく今頃は満開になっていることでしょう。かれこれ15年ほどその地にはごぶさたですが、老中稲葉正則創建として名のある寺です。稲葉家は明智光秀家臣、斉藤利三の娘のお福が嫁いだ家ですがお福が徳川秀忠の長子、竹千代の乳母(春日局)として力を持ったため(前回大河ドラマ「お江」でもお江と張り合っていました)幕府中枢にまで上り詰め、東海道の要衝、小田原藩主となりました。

しだれ桜は私が小学生あたりの頃はのどかな畑の中の「1本桜」でしたが最近は観光客が大挙して訪れるようになって、どうしても我らの足は遠のくようになりました。

小田原駅から南町の家に帰るには小田原城址公園を何通りかの道を選んで徒歩で20分をかけて帰宅したものですが、この時節はというとどこもかしこも夜桜の下でドンチャン騒ぎが繰り広げられています。騒音と酔っ払いの無礼には閉口させられましたが何よりも翌朝のゴミゴミゴミの山には呆れ果てるばかりでした。こんなことなら桜など咲かない方がイイのでは・・・とも思ったこともありました。小田原の下曽我には梅林があってその季節にはやはり人が押し寄せますが流石にその下での大騒ぎはありません。寒さの緩む頃とあってやはり桜の花の夜は人を異常にさせるのでしょうね。

さて、小田原在住経験のある(それも私と同じ早川近隣の南町)文学者に坂口安吾がいます。安吾の短編小説に映画化までされた「桜の森の満開の下」という題名のものがありますが、1945310日の東京大空襲で亡くなった人たちを荼毘に付した際、上野の山は桜で満開だったことからのイメージにして出来上がった小説です。

いつしか日本人は美しい桜にぞっこんで、かつてその「散り際」の風情を慈しむように人の死と重ねたものでありました。その美しさと散っていく潔さを知りその刹那を割り切って楽しむのか、最初から阿呆になって桜の下でバカ騒ぎを突き進むのかよくわかりませんが、人を狂わせる季節がこの季節なのかとも思います。戦時下「散る桜 残る桜も散る桜」などいう句を吹聴し部下を高揚させて死場を提供し、のうのうと自分だけ生き残った特攻隊の幹部、エライ人も居たようで。

「桜の森の満開の下はおそろしい・・・」インパクトある出だしです。

 

 

石垣山から見た入生田方面
石垣山から見た入生田方面