小田原のこと 西海子小路 奈良屋旅館

本日は春の法要。

昨夕は美しい日没とそれと対照的に現れた月の東上は圧巻でした。

今朝の天気は良好ですが寒さが気になります。今の所平穏ですが風が吹かないとベストです。たくさんの方がお参りにこられることを期待します。

 私は昭和33年に小田原市の南町の病院で生まれ中学1年までその地ですごしました。地元では微妙に位置関係は違いますが「十字町」とか「早川口」「お花畑」「西海子~さいかち~通り」と言いました。父母は駅から車を頼む時、「奈良屋旅館裏」と言っていました。旅館は廃業してしまいましたが、旅館の風呂場が、酷く古びた我が家の壁を隔てた隣にあって、湯をかけ流す音が、竹笹が突き抜ける押入れを通して聞こえてきたほどです。当時の「西海子通り」はまだ舗装もされていない砂利道で道の左右には小さなドブ川が流れていました。小田原城下、武家屋敷跡の閑静な場所で春ともなると桜のトンネルに変わりました。なによりのんびりとした時間が流れていた時代です。(昭和30年代後半)

遊び場はこの周辺から始まって成長に従って徐々に足は遠方に伸びるわけですが夏の石垣山、石橋山へのクワガタ捕りの遠征は小学校高学年からですね。それまではその「西海子通り」の東隅にある旧保健所の街灯に集まるムシたち狙いか周辺の寺の雑木でした。「街灯」は朝のラジオ体操の時間では遅すぎますのでライバルより早起きしてそこへ向かわなくてはなりません。ところがやはり「その行」は中々難しく悔しい思いをしたものです。

 さて先日、尾崎一雄について記しましたがその街灯の細い通りの向かい、旧保健所の西側に「小田原文学館」なる観光施設がいつしか出来ました。

小田原に関わった文学者を紹介する場所です。幾度か訪問した記憶はありますが、結構小田原という地は名のある文学者のつながりがあります。

十字町辺りからは距離がありますが、尾崎一雄の家から下った(宗我神社は丘の上)ごく近くには太宰治『斜陽』のネタを提供した太田静子の家があって太宰も過ごした家は地元では、まあ名の知れたところでした。

  私の小学校の同級生に小田原市城山の浄土宗の寺、伝肇寺様の縁者千葉さんという女の子がいましたが「お誕生日会」に幾度か呼ばれ境内で遊びました。そちらのお寺は幼稚園を併設していたので、別名を「みみづく幼稚園」。詩人北原白秋が在住し、多くの童謡や詩を残しました。その「みみづく」こそ白秋の建てた茅葺の小屋「木兎の家」からとったものです。 また、「北」つづきで北村透谷という詩人も小田原に関係のある文学者です。

 

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コメント: 2
  • #1

    まゆみ (水曜日, 22 8月 2018 19:40)

    こんにちは
    突然のコメント失礼します。
    「.小田原 お花畑」
    で検索してこちらにたどり着きました。
    私は保健所近く、当時の十字町に住んでいました。
    千葉さんも同級生で、夏にお泊りをしたのですが、お寺なので無意味に怖がったり…
    懐かしさのあまりコメントしておりますが、もう数年前の記事なのですね。
    届くかどうかわかりませんが勝手に盛り上がってしまいました。
    失礼!

  • #2

    今井一光 (水曜日, 22 8月 2018 21:30)

    ありがとうございます。
    またあれから時間がさらに経過し、記憶が飛んでいました。
    個人名まで勝手に記していたのですね。
    しかし当時の本町小学校の方からのコメントには驚きまた感動しています。

    先日は母方の菩提寺の高円寺にお参りしてきました。
    まだまだこれからも小田原との関りは続きます。
    今後ともよろしくお願いいたします。