墓場放浪記 徒然3

私の小学生時代の小田原は夏となれば仲間と自転車を連ねて「石垣山」か「石橋山」へのクワガタ捕り。どちらの山にも「自分の木」というものがあって行けば必ず蹴飛ばして回ったものです(木の根元を蹴ればクワガタやカブト虫が落ちてきます)。石橋山は上がって帰るまでに時間はかかりませんでしたが石垣山はふもとに自転車を置いて帰るまでに時間を要し、下ってからいざ自転車に乗ると空気が抜かれていることがザラでした。今思うと笑い話ですが同じクワガタ捕りの小僧らによるイタズラです。近所の家に声をかけて空気入れを借りたものです。すれ違う他の学校の上級生に問答無用で虫を没収されるということもあるスリル溢れる場所でした。

さて、「石橋山」は源頼朝挙兵の地で急な坂を上りだしてスグのミカン畑には頼朝方の「佐奈田与一」討死の地に建つ木柱があります。あの頃の白いアレではなく今は更新されてきれいでわかり易い標識になっています。朝早く虫取りに行った時の静けさとその「討死」という文字が醸す不気味さは何とも言えない気分であったことを覚えています。

石垣山」は別名一夜城。本丸下の入生田・早川側に突き出た展望デッキからはポツンと建つ小田原城が確認できます。今は車で簡単に行けますしミカン畑を切り開いて造成した駐車場には気の利いたレストランなんぞも建って昔の荒れ果てた古城の面影とは違っています(以前は自転車なんかとんでもないような急坂の狭い農道でした)。

小田原市の力の入れ具合もここにきてかなりのものを感じさせています。

それもそうです、秀吉天下統一の総仕上げ、時間をかけてじっくりとった小田原包囲網のメインイベントだった場所です。多くの戦国の有名人もこちらへ来ておりますし客寄せには持って来いの場所として育っています。