統計上の「お金持ち」の姿

以下2/28朝日新聞朝刊から。

 

お金持ちで高学歴、社会的地位も高い「勝ち組」ほど、ルールを守らず

反倫理的な振る舞いをする――。米国とカナダの研究チームが、延べ約1千人を対象にした7種類の実験と調査から、こう結論づけた。

28日の米科学アカデミー紀要に発表する。

 実験は心理学などの専門家らが行った。まず「ゲーム」と偽って、サイコロの目に応じて賞金を出す心理学的な実験をした。

この結果、社会的な階層が高い人ほど、自分に有利になるよう実際より高い点数を申告する割合が多かった。

 ほかに、企業の採用面接官の役割を演じてもらう実験で、企業側に不利な条件を隠し通せる人の割合も、社会的階層が高い人ほど統計的に有意に多かった。別の実験では、休憩時に「子供用に用意された」キャンディーをたくさんポケットに入れる人の割合も同じ結果が出た。

また横断歩道で歩行者が待っていても停止しなかったり、赤信号を無視したりする車は高級車ほど多い傾向も公道の観察から浮かんだ。研究チームは「お金や地位など社会生活のための資源が増え他人に頼らないで済むようになるほど自己中心的な社会観が形作られる可能性がある」と指摘している。                以上新聞記事

 

「私は金持ちじゃあない」と仰る御仁、ピンと来ませんが私も含めて世界から見れば一応は裕福な部類ですね、日本人は。それも大いに。

上を見ていたらキリがありません。

我ら日本人はこれ以上の「便利や快適」があったら何も動かなくなってしまいそうなくらい不平不満を言って体にはたくさん贅肉が着いてしまったこの現状から、やはり「お金持ち」類でしょう。

 

金持ち=勝ち組という図式に合理性を見出す風潮も相当な誤解があってこの考えは教育レベルで修正していかないとこれから日本人がロクでもない方向に向かうのではないかと危惧します。

経典にも「勝」という字が散見できます。

これは「すぐれた」「すばらしい」という意で使われていると思います。

何に対してすばらしくまたすぐれているのかといえば善導「無常偈」でいえば「勝縁勝境」、すばらしき出遭い、すぐれた「気づき・発見」、この

境遇、この人生・・・といった感じ。

仏の教えに他を負かすという概念は有りません。

しかし「他を負かして金を儲けること」が本能的に快楽に結びついてしまうのが人間の脳なのですね。ではそのことが本能であることを判って理解したのならば、それを制御して違う方策を考慮(利他等)するのも人間なのです。

本能主体で動くものを動物とも言っていますので・・・。

(人間が「動物」と比喩される場合、それがスポーツの場では褒め言葉となりますがそれ以外では恥ずべきことです) 

贅肉をそぎ落とす時間が迫っています。これ以上放置すると「心の臓」に

より負担がかかって致命的な病状に陥ります。

そのことも判っているはずなのに。

気づかせていただいたのなら動かないといけませんね。

自身に言い聞かせています。