菊川 堀之内幼稚園  西林寺

久しぶりに堀之内幼稚園にお邪魔しました。理事長さんも園長先生もお元気そうでした。前回お話ができたのが大澤寺も幼稚園も大きな工事の着手前でごたごたしていた時でしたから相当の御無沙汰です。

理事長の藤本照雄氏はご自身の体調について、若干の変異をその事実のみ触れておりましたが現在はお元気に動かれているご様子でした。

先代のお父上、一雄氏と同年齢になったと・・・当日は園児たちが作物を育てる内田の畑に堆肥の搬入の立会いに赴いていらっしゃるということで私はその足で内田に向かいました。

幼稚園で園長先生に創立50周年記念誌を頂戴し掲載の写真の数々に興味をひかれましたが、何より事務所の壁に掛けられていた昭和30年代の西林寺の本堂が描かれた油絵がとても印象にのこりました。

絵には本堂と銀杏と蘇鉄が描かれていて、その絵のイメージをそのままに内田西林寺跡に足を入れました。前回の訪問時には気づかなかった水鉢が・・・「三光山」という山号が目立っていました。

大正元年の門信徒寄贈とあります。

「三光」とはどういう意味なのか思量しましたがわかりません。理事長さんに次回は伺ってみます。

「光」の元は阿弥陀さまとして「三」とは西林寺・廣樂寺・大澤寺のことなのでしょうか。ちなみに私の俗名は「一光」です。

さて、いただいてきた記念誌の「おやまのようちえんものがたり」に「ルーツをたずねて」という項目がありましたので転記いたします。

ルーツをたずねて

銀杏と蘇鉄
銀杏と蘇鉄

「昔々、江戸時代の初期、1648年、西念が内田の里に浄土真宗大谷派三光山西林寺を開きました。それから、345年後の平成4年平尾団地造成と共に、14代3世紀半の西林寺の歴史を閉じることになりました。

(昭和28年~37年、宗教法人西林寺立内田幼稚園が境内にありました)

 

大正12年漢学を学び、弓の名手であった12代建憧(一雄父)は西林寺を堀之内の町に発展させたく、その用地として、この高田ケ原麓の山林約3段を手に入れました。その時の資金3千円也をポンと貸してくれたのが同じ東平尾出身の一雄の先輩友人である横山又蔵氏であり、彼は東京東大崎に電気通信機の会社山光社創業した内田村立志伝No.1の成功者です。

父一雄に「金儲けは俺にまかせておけ、オマエは学問で身を建てろ」と言ったそうで亡くなるまで、兄弟のような付き合いをしていました。

この堀之内の土地なくば一雄の幼児教育への夢の実現も、今、こうして堀之内幼稚園の存在もなかったかも知れません。」

50周年記念誌
50周年記念誌
三光山水鉢
三光山水鉢