なんとかかんとか47

標記先般お騒がせというか「よくわかんない」ドタバタ、政府のキモ入りの標語でした。発表その直後自殺対策広報ポスター25万枚の「回収と廃棄の運びとなりました」というニュースがありましたね。

色々一筋縄ではいかない世の中であることはわかります。

そんなドタバタはいつものことと聞き流しますが。

とにもかくにもわれらの住むこの国は病んでいます。

毎年3万人の方々が自ら命を絶っているという現実にお国も「対応策」をとたちあげたのですね。ただでさえ出生率が低くなって人口が減っているのにますます頭が痛い現象ととらえているのでしょうか。

これからお寺もその対策にかかわらなくてはいけない重要事項です。

榛南仏教会の活動は今「震災時のお寺の関わり方」についてテーマを決めて勉強会等を進めていますが3.11以前は『自殺防止』について課題として掲げ「悩む方々」とのかかわり方、対応について勉強していく予定でありました。ところが3.11以降、より緊急性が高いということからテーマが変更されたという経緯です。

しかしこちらの方の緊急性も甚大で疎かにはできないことです。

考えてみれば我々坊さんが天秤にかけてどちらが喫緊の課題かと考えた結果、こちらになったということなのですが、どちらが「身につまされるか 」ということだったのではなかったでしょうか。

「地震津波は我が身を想えば相当な身近な出来事、だが自殺問題は我が身からすれば遠い問題」という感覚でそれを決めていたのならまさにわが身を知らぬ慢心でしょう。私がそうだったと思います。

「自分は自殺なんかしない、そんな病的な状況には陥らない」

つまらない自信ですね。どう変わっていきどう最悪の状況に陥り、もがき苦しむのか、わかりません。坊さんも同じ人間なんですから。

その慢心を蹴飛ばしてもらうための聞法(もんぽう)です。

「真宗の修行は一生の聞法である」と言います。