一乗谷攻め 失敗

一乗谷登城口
一乗谷登城口

昨年のこの頃は福井に行っていました。

安直な考えとETC1000円にナビ、そして何より今年のような異常な寒さと雪はありませんでした。

 

しかしこの城の登城はお土産屋さんが「よしなさい」と制止、「山頂まで1mは積もってるよ」とのことでした。

(内心ホッとしました)

 

前日に小谷城の積雪に大困惑し相当疲労しましたのでここは素直に諦めるところです。

どっちにしろ積雪で道は判らないし遺構は隠れてしまっているのですから。次回のお楽しみ。

 

小谷城から望む虎御前山と竹生島
小谷城から望む虎御前山と竹生島

人間、他者の爽快で無茶苦茶なところに憧れたり共感したりするものです。

 

はこの男の若き一生(23歳)に少しだけ興味があります。

 

 

 

 

富田長繁その人です。

このハチャメチャ男の元主君が朝倉義景ですが義景さん、余程運が悪かったというか家臣を見る目が無かったのですね。

 

平和な越前の朝倉家のお坊ちゃまが安泰安楽を貪りその挙句「40歳」で一族滅ぼされ、さらし首に掲げられた挙句「箔濃(はくだみ)」まで施され饗宴の出し物にまでされてしまいました。

 

※箔濃→頭蓋骨に漆塗を施され金箔に仕上げられること

勿論それを行ったのは織田信長、本能寺で信長を滅ぼしたのは朝倉義景元家臣の明智光秀でした。 

 

その義景さんの壮絶な辞世の句です。

 

七転八倒 四十年中 無他無自 四大本空

 

世の「義景愚鈍」と評すこと人口に膾炙ではございますが義景さんに限らずそんな心境はだれでもお持ちかと。

違うのは私ごとき、ただのうのうと生かされている身があるだけなのでしょう。

そしてこれからも七転八倒の人生を、与えられた時間だけお付き合いさせていただくのです。

それにしても徳川家康は家臣に恵まれました。

彼を育てた環境こそ三河武士団と呼ばれる心意気。