岡崎教区通信

No.447が本日届きました。タイトルは・・・

「人間の愚かさは、反省ぐらいでは決してかわるものではありません」

                     『今を生きる親鸞』より

何かヘマをやらかして、ドジを踏んで、ガサツに慌てて振る舞って、そして勝手に良かれと思って突き進み、時として自制までも失い、他者にたびたび不快感を「提供」して傷つけ閉口させる。

「その繰り返しが人生であった」とは言いませんがどっかしらそんな感じで生かされてきているかもしれないと想ったりします。

ひょっとすると他者の「寛大な諦め」によって「この心も体も野放しな」

私を温かく包容してくれているのだと。それが阿弥陀の力なのかと。

そうですそのタイトル通りロクでもない私にも時として「ごめんなさい」と心から詫びる気持ちが出現します。しかしその反省の気持ちも

あたかも鶏のように1歩あるき出すとすべてを忘れてしまう私があるのでした。

ドゲザパフォーマンスと謝罪を混同している輩が多くみられる昨今

心から「ありがとう」「ごめんなさい」という言葉が聞こえなくなってしまいました・・・

 

でもどうのこうのといいながら阿弥陀様の

「おまえはおまえのそれでいい」という言葉も聞こえてホッと安心しています。