地震記 襖由来
大澤寺本堂之四間建置金張襖之来由ヲ記
釘浦山大澤寺九代目住職祐厳師之世代ニ此金張り之襖ヲ新調ニ及ブ
干時文化五年申秋也施主ハ山崎長兵衛ヲ始メ板倉市兵衛様発起人与相成
同行中有志之者尽力之上城東郡池新田村丸尾月璋与云フ画工ニ為依頼テ
其歳間四五年間義此図画ニ註意被致其筆跡ヲ尽力之上右文化五年ニ
功成リテ落成ニ及フ其ヨリ物換リ星移リテ十代目祐賢師之世代ニ至リ
嘉永七年寅年霜月六日東海道大地震之際ニ本堂大破及ヒ随ツ
而此襖両方八本トモ大痺ニ相成同行門徒中ニテモ一同右震動後之事情
各々ニ家屋之修繕等ニ困難シテ本堂破損之個所ヲ修繕スルトイエトモ
襖之迄ハ不行届 年月ヲ経過シテ三拾壱年後ヲ得テ明治十七年申八月発起人
四名協力同心シテ其職工ヲ依頼シテ今茲ニ修善之実功ヲ奏スルニ至ル
聊其来由ヲ書記シテ後世之門徒同行衆ヘ残スト而カ云
明治十七年申八月二十日
新町 布施勘七
波津村 小山弥平
波津村 小山平兵衛
波津村 野村庄十
地震記 襖由来 よみくだし
大澤寺本堂の四間にたて置く金張襖の来由を記す
釘浦山大澤寺九代目住職祐厳師の世代にこの金張りの襖を新調することに
時に文化五年申秋也 施主は山崎長兵衛を始め板倉市兵衛様発起人となって
同行中有志の者が力を尽くして、城東郡池新田村丸尾月璋という画工に依頼
その歳の間 四、五年間この図画に註意致され其筆跡を尽力の上右文化五年
功成りて落成に及ぶ 其より年月が移って十代目の祐賢の世代に至り
嘉永七年寅年霜月六日東海道大地震の際に本堂は大破して瓦も堕ち
この襖両方八本とも大破して同行門徒中にても一同このような地震後の事情
それぞれに家屋の修繕等に困窮して本堂破損の個所を修繕するといえども
襖までは行届ず 年月を経過して31年後を得て明治十七年申八月発起人
四名協力同心してその職工を依頼して今ここに修善の実功を奏するに至る
いささかその由来を書き記して後世の門徒同行衆へ残すと しか云う
明治十七年申八月二十日・・・・・