枝垂れ→御衣黄→牡丹 長谷寺宗宝蔵

仏の臺・台(うてな)に生まれ自身思うままに生かされて「それ」を自由に任せてそれを選択した結果、蓮の台から落下して(地獄に堕ちる)もそれもまたヨシ。

先達が同様の末路を辿ったところを目の当たりにし、十二分にその件承知していても自身の煩悩を「自在のまま」に貪ろうとすればそうなることはわかっているのに。

 

先般アベハなるグループの人たちが裏金の件で曝され世の政治不信に拍車をかけたところでしたが、あの時「アベハを介錯する」と息巻いていた彼が切腹するハメになったようで皮肉というか殆ど苦笑させられる出来事でした。

 

あの御仁が初めて立候補する際、たまたま私が居合わせた袋井での刀剣愛好家の試し切りの会に現れ「挨拶を」と初々しさ満点で登場したことを思い出します。

一同に名刺を配りまくっていました。

その場でどなたかが「浜岡原発はどう?」という問いかけをするとそれまでの弁舌の滑らかさに反して一瞬口ごもっていたことが印象的でした。その件、触れてもらっては困る・・・といった感じでした。

私には地盤違いで投票権はありませんし、目の前の御馳走の方が気がかりでしたのでどうでもいい時間でしたが、それにしても立候補するたびに看板の髪が濃くなる様を見て「変なこだわりがあるのだな・・・」とも。

というワケで「そこかぁ・・・」と文春の記事で納得した次第。

 

昨日は菊川方面に所要で向かいましたが、まだ各所に彼の顔がアップされた写真が立っていました。

報道では事務所では色々撤去されているとのことでしたが、取り残されている各所に存在するそれを見て三尺上の獄門台を連想しました。

まぁそれも御当人が選んだ自由なのですから。

 

扨、先日は奈良長谷寺のシダレは散り始めの満開、十分に楽しめたのにも関わらず翌日の京都醍醐寺のシダレは殆どゼロといった件を記しました。

当家でもオオシマーソメイヨシノーシダレー八重といった感じの季節変化を見ていますが、その順序は大概のところは同じでしょうね。

長谷寺の八重も満開の木を見つけたのは例の長階段の途中右にある宗宝蔵の門内です。

八重桜の種類でも御衣黄(ギョイコウ)という名。

何となく品の良さが漂いますが、遠目から見たら盛りの過ぎた葉桜のようにも見えます。

 

③④は宗宝蔵。③画像に限りサイトから。

この収蔵館は特別に拝観料が必要ないのとたまたま係りの人が呼び込みの如く声を掛けていましたので人々が足をとめていました。

⑤⑥⑦が御衣黄。

①と⑧~が長谷寺の別名「花の御寺」の通り一番のウリかと思われるボタンにバトンが繋がります。