奈良山間と京都の差 長谷寺歓喜院能阿弥顕彰碑と辞世

一昨晩からの雨はあがりましたが朝は強風から始まりました。

残っていた八重桜の桜吹雪は可哀想な気も起こりましたが・・・

しかし10時前には風も収まって四十九日の法要を修めることができました。

当家のご都合が月曜日と言うことで昨日になりました。

故人は拙寺近隣の住まいながら藤枝の病院にて逝去。

ご長男が藤枝の葬儀社と知り合いとのことでそちらで葬儀が執り行われ地元のお知り合いたちはその逝去も葬儀式についても知らなかったとのこと。

 

よってせめて四十九日法要と墓前にお参りしたいということで生前、お付き合いのあった皆さんが堂内に集まりいつもとは違った空間になりました。

とにかく天候が穏やか、滞りなく法縁を結ぶことができました。

 

扨、昨日は奈良長谷寺の景色、桜の咲き具合など見ながら下山したことを記しましたが、ざっと奈良の桜はその4月15日の段階でまだ名残がありました。

てっきり咲き終わっていたかと思っていましたので意外、思わず楽しむことができました。

ということで翌日の京都も十分イケると踏んだワケで、本山へ辿る前に急遽寄り道をすることにしたのでした。

奥方が同行していなければ絶対に寄っていこうなどいう気は起こらない桜の名所、醍醐寺です。

 

平日ながら人少なし。それは都合よきことですが、もしやと思い、駐車場に車を停めたあと(今回はコインパーキング)、三宝院近くの総門前から出てきたご夫婦に桜の状況を聞くと苦笑いしながら「ゼロで~す」と。

唯一残っているのはこの総門前のものだけ・・・とのことでした。

 

以前未練の残った三宝院の拝観チケット売場前で奥方に「二人で3000円、サクラあってこそだがどうする?」と問えば「帰路へ」と。

よって仁王門まで歩いて反転した次第、パーキング代は100円でした。

 

画像①~④は長谷寺仁王門入ってスグ歓喜院の門前のシダレと能阿弥顕彰碑そして辞世。能阿弥は長谷寺で亡くなっているとのこと。

建碑は今年の3月。ピカピカです(茶会→こちら)。

 

⑤~⑦は唯一残っていた醍醐寺の総門前のシダレと仁王門前の図。お天気具合が怪しくなっています。

目を凝らせば微かに・・・この門を潜り金堂方向に行くには拝観料が発生します。

奈良山間部と京都盆地でこれほど差が出るとは・・・