「降ります、降ります」の言を信じて水やりをサボって朝を迎えれば、植木鉢を湿らせるほどの雨はなし。
やれやれと思って朝からホースを引っ張り出して散水したのは「これから晴れに向かう」とのモニター画面。
すると9時前から小雨が・・・特にこの時期は天気予報などアテになりませんね。
朝のニュースの時間のあと、今朝からNHK朝の連ドラが新しく始まったのでしたが、第一印象としてまずは番組導入の歌唱の部分からして私的にOK。
朝から煩いのは御免ですからね。これまではBSの海外ニュースにチェンジしていましたが。
その歌詞にあった「日に日に世界が悪くなる・・・」の部分から大いに惹かれてしまいました。
そして劇中の台詞・・・「新政府に薩長そしてザンギリ頭の商人、調子にのった奴、黒船・ペリー・・・」を「呪い殺したくなる」というところ「おおっ」とぱかりに私の心に刺さってしまったのかも。
「家族で丑の刻参り・・・」あり得ないような演出を思いましたがついニヤニヤしてしまいました。バカバカしくも面白い。
私ならネタニヤフ、トランプ、プーチンそしてもろもろの国内で暗躍するお調子者たちのことを連想する次第。
昔、バラエティグッズ売り場に藁人形の入った「丑の刻参りセット」なる物が並んでいましたが、果たして今も変わらず売られているのでしょうかね。
また番組では唐突ながら猪目の講釈も良かった・・・
扨、拙ブログにて大和郡山の洞泉寺町、旧川本桜遊郭(またはこちらの猪目窓 こちら)について記しましたが、そちらでの就労女性たちへの生まれながらその道を歩むに至った境遇と不憫を感じずにはいられませんでしたね。
今年の大河ドラマ「べらぼう~」では吉原という場でのドラマ進行があり、それが当初から「子供に見せられない」「大河ドラマに不適なシーン」など物議をかもしていましたが「私は何を言っているやら・・・」の感を抱きました。
あの仕事にやむを得ず就かなくてはならなかった事情もありますし、その方たちがいなかったら「貴方のいま」「私のいま」はもしかして無かったかも・・・と思うところ。
彼女たちは苦痛の毎日を送り過酷な就労から病に倒れ死する者たちもいましたがその年季奉公が明けた時、それはいろいろなカタチがあったでしょうが身請けされるなど市井に復帰し妻となり母となりたくさんの子達を成長させたことは日本の歴史の中、偉大なる御先祖様の一つと言えるのです。
そして親元に帰るなどまずあり得なかったことでしょうね。
親たちはいくらかの金員でもって「娘を売った」ということですから。娘であっても親への恨みつらみは積もるはずです。
それを思うと彼女たちを蔑むようなことはできません。
そんな歴史があったことを知らんぷりし忘れ去ることなどまったくNG。お調子にのっちゃあイケませんよ。
川本桜は江戸期の遊郭ではありませんが、まず、そちらに奉公した女性たちは地元からではなく地方の貧農出身者というのが定番です。
また江戸期のその手の遊郭は公認性。
幕府はノホーズ(野風俗・・・)にそれらの営業を許さずコントロールを試みます。
しかしその手の要望がいたるところであり例外として「岡場所」あるいは宿場町の旅籠に詰める「飯盛女」なる半公認の就労を黙認しました。
ただしその最もお気軽そうな宿場の「飯盛女」の場合は純然なる旅籠屋働きのみで客をとらない人もありましたが。
表記は相良の相良藩御用商人の旧家にのこる請状になります。
その19歳の「婦さ」の奉公先への、いわゆる今でいう保証人としてその店(たな)の主人が発したものですが、その条件詳細について記されています。
なかなかこういった内情について私たちは触れる機会がありませんので、所有者にお断りして掲載させていただくことにしました。
道中飯売奉公人請状之事
一当丑拾九歳ニ相成候婦さと申女子ハ我等実子ニ紛無御座候
年寄を以貴殿方江相頼ミ右様奉公に差出シ候処当ル丑九月ヨリ
来ル未十ニ月迄丸年六年三ケ月ト相定為給金八両也只今
不残御渡シ被下慥ニ受取申候処実正也勤方之儀者御家風之通リ為相背申間敷候若御家風合不申候ハバ西は舞阪宿ヨリ東は豆洲
三嶋宿迄之内何レノ宿方成共御勝手御住替可被成候其節右様奉公為相背申間鋪候扨又此女子ニ付諸親類ハ不及申横合違論申は
壱人共無御座候若又彼是申もの有之候ハバ判人引受急度埒明貴殿江少シも御苦労相掛申間鋪候若此女子まで欠落等仕候ハバ何方迄も罷出尋出し御定之通リ御奉公為相勤可申候且又御年季中
勝手ニ御暇等頼申間鋪候
御仕着セ之儀ハ御家風ノ通リ可被下候年季之内妻ニ望候仕御座候ハバ樽代金何程ニテ御取被成候共一言之申分等無御座候若又頓死長病ニテ相果候ハバ貴殿見分被下候上ハ御沙汰被下我等住処ニ不居合候ハバ貴殿旦那寺ニ御葬被下跡ヨリ法名ヲ以御為知可被下候其節一言之申分無御座候
一御公儀様御法度之宗門ニテは御座無寺手形御入用之節は何時ニテも早速差出シ可申候為後日之親類証人加判飯売奉公人一札
如件
嘉永六年丑九月日
証拠人 相良新町 安兵衛
売主 谷口村 順蔵
佐兵衛
女子 婦さ
判人 五郎兵衛
※6年3か月で8両
※その子の性質がそちらの「家風」に合わなかったら
西は舞阪宿ヨリ東は三嶋宿まで御勝手に変更可
※年季内に妻にしたい者あれば樽代~結納・祝儀~はそちらで
※もし亡くなったらそちらの菩提寺に 法名だけ知らせて・・・
つい最近までその手の話はこの国にまたぞろありました。
名家と言われるお金持ち、お大仁こそそういった女性たちの身請け人となり側室、お妾さんとして。
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