歯科医のあと 駿府城二ノ丸橋刻印付石垣と鉄舟教導石

昨日は静岡の歯科医へ。

春頃治療した歯に痛みがあったため「よし行こう!!」と踏ん切りをつけたわけです。私ども家族はずっとそちらでお世話になっていますが、毎度「よし行こう」的な感覚で医院へ。

それでも先方から苦言を申されたことは一度もなし。

融通が利くというか、いつもご配慮をいただきこちらの無理を受け入れてくれます。有難い歯医者さんです。

 

午前9時から新築会館の査察に市の担当者が来訪。

それはおそらく宗教法人の施設かそれ以外かを確認に来たと思われます。

奥方が提供した図面を一旦複写するために持ち帰り、すぐに返却に。暑い中ご苦労様でした。

 

その後スグに静岡に向かったわけですが「虫歯でもなく神経が突出しているわけでもない」とのこと。

よって周辺の歯石をいつもより深め(4mmと)に器具を差しこんでの除去治療。あとは「様子見」とのことでした。

今のところ10の痛みがあったとすれば7くらいに減衰したような感じ。徐々に良くなってくれれば・・・

 

私の歯科医院滞留の間、奥方は周辺の涼しい場所(デパート)に退避していたそう。

店から店に移動する際「くらくらする」と太陽を呪うような言葉をメールに記していました。

それならと私は医院を出たあと、駿府城散策へ。久し振り。

一人なら面倒くさいことを言われないで済みますからね。

 

まず目に入ったのが山岡鉄舟の教導石。

そういえば以前拙ブログにて記した際は一番の着目すべき両側面に彫り窪められた文字、石碑の右側「尋ル方」左側「教ル方」についてその画像がありませんでしたので再掲。

「互いに助け合う社会」・・・ベストで理想的。

しかし分断させようという力がどちらでも。

 

駿府城内へ・・・、堀を渡るのは二ノ丸橋④。

お昼時とあって散策者というか東西を突き抜ける人たちでしょう、ちらほら見かけました。

そこで初めての気づき。

石垣左側に刻印付の石垣が2つ。

これまで何度か通行していましたがまったく気が付きませんでした。

どこに目を点けて歩いているのやら・・・

「いや待てよ・・・」と、ふっと思うのは、何かの改修の際に、人の目に触れやすいこの位置に意図があって据えたのでは・・・などと。

それだけスグに判るような場所なのです⑤。

 

それから更にぶらぶら。

やはり例の発掘現場に歩を進めました⑥。他に人の姿は片手でにも満たないほど。

そのついでにあちらに設営されているプレハブ小屋にも顔を出し、詰めている担当者に「何か面白い物出た~? 」。

以前と変わらぬ展示物でした。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    お祭り大好き (日曜日, 31 8月 2025 04:02)

    暑いなかをお疲れさまでした。 当該刻印石は、築城当時のものではない恐れがあります? 後世に広報用に刻んだと思われます・・・・。 教導石では、「蜂屋定憲」という静岡学問所教授・静岡師範学校長が回答者の先頭にたって活躍したと記憶しています。 葵区の感応寺に墓所がありますが、 無縁仏として処分される懸念があります。 同墓地に眠る由比正雪「慶安の変」の際、駿府定番を務めた井戸新右衛門直弘の墓石は、無縁仏処分の公示後の現在は上半分が除去されました。 子孫がしっかり護らないと無情です。 昨日送信ボタンを忘れましたのであしからず!

  • #2

    今井一光 (日曜日, 31 8月 2025 12:35)

    ありがとうございます。
    後世に「広報用に刻んだ」となれば一言その件添える必要がありますね。
    改修の際に据え代えたなどのお話以前の問題でしょう。
    もしそのようなことがまかり通っているのなら、駿府城の遺構に関して何一つ信じることがでなくなってしまいます、
    そして無縁墓を改めたいという気持ちはわかりますがお寺側の「遺す」という意思もある程度必要かと。