掛川、逆川といえば十九首 天慶三940年 潔き地名 

午前中は法要、お盆のお参り多数に付き、水屋のゴミ袋はあっという間に満杯になって昨日も奥方はあたふたの一日。

午後は八月の法要の準備、境内清掃等、世話人様が来られていましたのでその休憩タイムにも奥方は奔走。茶菓子職人と。

 

テントも一つだけ張って、鐘撞の準備をしましたが、炎天下のテント内はまさに地獄。紺色の屋根が太陽の熱を集めまくりますので太陽光の遮蔽ということでは少々ギモン。

尚、八月の法要(今年は二胡のミニコンサートの開催)の開催場所は本堂でなく無碍館にて。

エアコンをギンギンに効かせて快適を追求します。

 

扨、先日は地名のキラキラ化の傾向について相良でも古い家のご門徒さんと話す機会がありました。

以前拙ブログでは古い字(あざ)名は見えない歴史の示唆」な

どと記していましたが、要は単純に「歴史を消すな」ということです。

地名・字は古い時代の御先祖たちの津波や水害のポイントを伝えるメッセージであることは最近になって周知のことになっていますが、理由はどうであれ、私は安直に地名・字を変更することはどうも感心できませんね。

時に「無理がある」と思わせる地名・駅名が出現したりしますね。

 

そのような風潮ある中、私の好きな地名を一つ。

それが掛川市十九首。

「和歌の一首でも~」のそれではなくこちらの語源は「十九人の首」からですね。

私からすればイカした地名。この地に訪れたのは「奥の墓道」氏を迎えた数日前、花鳥園に向かう前に(結局行けませんでした)久し振りに・・・という具合に立ち寄ったのでした。

 

掛川・・・逆川・・・首を橋の欄干に・・・という説かすれば、まさにこの地が掛川の大元。

潔く結構な名称で誇らしげ。

もっともっと宣伝していけばいいのですがね。

ちなみに当初この地に藤原秀郷の手によって首塚が十九基建てられたといいますが8月15日(天慶三 940年)とのこと。