三河特筆の石塁 大給城 無茶雨はカンベン

朝からドカ雨と小雨が交互に。

四十九日の納骨の法要がありましたが、その雨のおかげで納骨の儀は順延することになりました。

雨中これまでにない涼しげな風、猛暑カンカン照りの方が断然マシのような。

この停滞する前線、全国的に家や車の浸水、川の氾濫、崖崩れの恐怖が付きまといます。

夜間は静岡県内各地、特に東部での豪雨警戒情報が出ていました。

しかし当地相良は静かなもの。

地形による特殊要因なのでしょうね。

たまたまなのでしょうが枕を高くして・・・おやすみなさい。

 

扨、大給城について先日来先日記しました松平乗元の墓について記しましたが、「三河国二葉松」にその乗元が長坂新左衛門の元に拠って大給を名のったことを城郭大系では指摘しています。

まぁ各説入り混じりますが通説では松平乗元の城、以来大給松平氏(十八松平の一)として各転封を重ねるも明治を迎えています。

 

以下、城郭大系より。

「城址は西三河の北半を眼下に望む、標高207mの山頂にあり<主郭・二の曲輪が残り、さらに三河においては類例の少ない石塁が所見される

 

①画像案内板のみ松平氏館跡。他は大給城にて。