10代柳生俊章 11代俊能 田沼家との関わり 柳生芳徳寺

昨日から数日間、これまで連続してあった拙寺の法務の予定はありません。

この数日のブランクに息継ぎをとどちらか遠隔地のハカテラシロ(墓寺城)巡りについて企図していましたが、天候不順予報につきそれは取りやめました。

 

法務連続の中、ずっと好天続きだったわけで、此処へ来ての低気圧の通過には「なんだかなぁ~」の溜息。

コレはいつもの、阿弥陀さんの「行くな!!」のサインとして了承した次第

朝の西寄りの風の涼しさに微妙な季節の変化というものを感じました。

日々昼間の長さは短くなり、着実に夏の終わりが到来する前兆。子供の頃に思った焦燥感とは違いますがどうにもならない諦めのようなものも。

 

夏が終わりに向っている・・・とは言っても昨日は静岡市は「キャリアハイ」41.4℃を叩きだしたとのニュースが。

誤解されては困ります。

その件静岡市内のお話で、ビッシリとコンクリートに覆われた人口密集地の事ですから、「静岡県」すべてがそうなっているワケではありませんよ。

 

夕刻の庫裏トイレ(西向き閉鎖空間)の温度計は33℃でしたが、外気も最高でもそのようなものでしょうね。

海が近くて緑がたくさんありますので静岡市内の如くの珍しき数字にはならないでしょう。

 

拙寺の「平和の鐘」×7回を聞き広島での式典を視聴してから浜松に向いました。

息子の転居準備その他いろいろです。

尚、鐘撞き人は毎年御門徒さんのお役ということで

 

いつもなら浜松の気温の方が突出しているわけですが昨日は38℃程度。

浜松でも下水道の点検工事が各所で行われていました。

交差点中央で行われるその点検作業の地上の様子を信号待ちの間、目にしましたが、コンプレッサーに送風機、大口径のチューブから空気を強制的に送っていました。

そこまでやっての公共事業受注というもの。

事故を起こしたら「次はない」の心得を垣間見たような。

 

夜間はNスぺ「広島グラウンドゼロ」を視聴。

熱傷地獄・・超音速の衝撃波(爆風)・・火災旋風・・火災積乱雲(黒い雨―喉の渇きで「ごくごく飲んだ」) ・・・放射線被ばく・・・証言の一つ一つ言葉がありません。

 

画像は昨日に続いて柳生一族墓域。

④⑤は10代柳生俊章 11代俊能の墓。

⑤図の右が柳生俊章(としあきら)、左が柳生俊能(としよし)。

柳生俊能の正室が田沼意正の娘。

その縁で田沼意正の次男が養嗣子として入ったのが俊能になります。

田沼意正は田沼意次の四男ですから俊能は意次の孫。

「柳生」は相良田沼にごく近いのでした。