本山参りのついで たまたま竹の子掘りを見学

また昨日の続き。

バイトといえば闇バイトなる語が頻繁に聞かれるようになりましたがそれもいわゆる「カンタンに儲かる」の勧誘に乗ってしまったことが原因ですね。

カンタンに、大した労力も要らずに大金をゲットできる・・・などの思い込みはゲーム世界とともに育った子供たちが負う大いなる錯覚。

 

「カンタンに儲かる」を信じる者は「カンタンにカモれる」の同意でしょう。

自分にとって都合のいいことばかりの、うまい話が転がっているはずもなく、それがたまたま目の前に転がっていると錯覚するのは脳内がゲーム状態に陥っているからです。

 

法律というものの存在があることは承知していても「自分は大丈夫」というのも錯覚。

悲しいかなそれをやらかしてハッと気づいたときは既に遅し。

ゲームの如くリセットはできませんからね。そんなアホ話は三面記事蘭に踊っています。

 

新聞記事にオレオレ詐欺の下っ端、受け子の類であっても高額な賠償責任を負うと。親が自宅を売却して2千万円近く弁済したケースもあるとのこと。

犯罪が表に出てしまえば人生を棒に振ったのも同然、それを取り返すには相当の苦難が待っている事は必定。

親は何とか弁済してチャラにしたいと思うのはやまやまですが、その解消は民事のみですからね。

刑事事件で立件されます。やったことには責任を取る・・・それ法治国家の基本。

それでもその安直な誘いにのってしまうのが今の若者たちの傾向でしょうね。

 

今一度因果の道理について家族内で確認した方がいいのかも。

宗教的因縁もままあることで否定しませんがまずはそれを離れた原因と結果の件。まぁ国レベルの怒りの捌け口もそうですが「やったらやられる」です。

人間というものはそもそもアホなのでしょうね。

みんなそうですからそうは心配することはないのですが、そこに必要なのは自制心。

 

オオタニサンの通訳の違法バクチの件もそうですが「病気だから仕方ない」のみを理由にするのはムリがあるような気がします。違法なる暴走行為のただの言い訳でしょう。

自分の「病気」(バクチ依存症)のことを理解しているのなら治療するよう努力するべきと思いますが。こまった病気を放置している人間が世の中にいるでしょうか?

 

扨、本山には前年の10月にお参りに行っていますが、時間があるうちに今一度行ってみようということで奥方と京都方面に向かいました。奈良は次回の下見。

 

留守番は息子にやらせてのんびり京都奈良辺りの散策を楽しもうというものです。

そういうのんびりお気楽気分での遠乗りはまず突然の訃報が入ってくるというジンクスがありますが、その不安は的中、息子からの電話でお気楽気分はぶっ飛びました。

日延べしていただければ私が帰宅後に動くことができますが、急ぎの通夜と葬儀とのことで私の対応はムリ。

そこで息子の出番。選択肢はそれしかありませんでした。

よって「うまいことタノム」と電話を切りました。

まぁそのための留守番ですからね。

 

ここ二度連続で息子の導師による葬儀が執り行われましたが、奥方には「これでいいのだ」と。

いずれは文句なしで彼が執り行うことになるのですから。

 

画像は京都某所の竹藪。

作業中の方にインタビュー。

「一昔前は竹藪だらけだった。今は家が建ち竹藪はなくなりつつある中、放置される竹藪が増えている」とのこと。

見苦しいことこのうえないということでこの時期にはボランティア有志が竹藪整備を行っていると。

まずその主たる整備とは竹の子掘りのこと。

竹の子を掘ることが整備になるワケで、そのボランティアの対価が竹の子。

 

近くには竹の子の棚店が出て「1円/g」の札が出ていました。

これも「安い」の錯覚、1000円/kgですからね。

京都の青果店に並ぶ旬の竹の子は相当高額です。

それなら・・・とばかりに私が他人様の竹藪に入り込んでそれを獲れば・・・御用となります。

子供の頃は平チャラでそれを取りに行ったものでしたが。

栗もイチジクもビワもカキもミカンも自然薯も・・・海の幸も今はダメ。これも「やったらやられる」。