「旅籠屋金沢内灘店」営業終了の報せに唖然

あっという間に4月・・・などと昨日記しましたが、ということは能登半島沖地震からも3カ月が過ぎたということです。

昨晩のクロ現はその地震による被災地の状況が、「殆ど変わっていない」という現実を告げていましたと。崩れた家屋と瓦礫がいまだそのままになっているということです。

素人目から見てもどこから手を付けていいのかわからないような光景ですが「ほとんど手つかずのまま」というのも呆れさせられるばかり。

「その時はこうなる」の現実と将来の私たちへ、その覚悟を無理やり押し付けられたようにも感じます。「その時、国は助けない」の見せしめ・・・?

 

特に番組内で放映された、押しつぶされた家に閉じ込められた方のスマホ動画はリアル。

「よく助かったものだ・・・」が第一印象。当初はその方のスマホの電波は圏外といいますが、何とか空間を見つけて上部に這い上がってから、そこで手を伸ばすと電波が届いて助けを呼ぶことができたとのこと。

今一つ、思うことは電池がそこまでよくもったということも。

何度も119へのヘルプの履歴が紹介されていました。

 

1度目の揺れをやり過ごしたあと2度目のそれで家があっという間に倒壊したそうですが教訓としてやはり「即 外に出ること」を伝えていました。

しかしそれはタイミング次第、なかなか難しいことです。

 

扨、私が遠隔地を訪問する際は日帰り行脚も時にありますが宿泊先を求めます。時間を有効に使えますからね。

ただし行き当たりばったり、平日のお天気を見て突然動き出すことも。

そこで宿屋を所望すことがあるわけですが、私のその要望に安直に応えてくれるのが「旅籠屋」です。

目的地によってはその所望は実現不可のこともありますが、できるだけ直近のそちらを頭に入れつつ無計画に出立するのが毎度の事。最悪車中泊も配慮の内(これまで一度もなし)です。

 

その旅籠屋、数ある中、金沢で私がかつて投宿したそちらの件、ネット上の新聞記事を見て驚かされました。

なんとあの能登半島を襲った地震により、その宿屋は相当なダメージを負い修復困難となって営業を諦めたとのニュース―「内灘のロッジ『旅籠屋』閉店地震で損壊、再建断念」 (北國新聞)

―でした。

能登半島でも金沢あたりだとそれほど大きな損壊は免れたというイメージでしたが、まさかの思い。

 

画像は日本海側から見たその宿屋。

「のと里山海道」の入路になり、そちらを海伝いに飛ばして能登半島へ向かいます。

北陸方面へのベース基地を失った気持ち、また何とも言えぬ虚しさを思います。