証如上人裏書阿弥陀さん絵像 徳山寺

昨日記した「聖人」の件、もうひとつまどろっこしいのが「上人」の称。

要はイメージですが「スーパースゴイ」のが「聖人」でスゴイが「上人」といったところでしょう。

いずれにしろその称号はご当人からすればどうでもいいことでしょうね。

それほどの人格者が「スゴイ」と評価されることについてまず望んでいないでしょうから。

そしてその称号は宗門が育んで伝えたものでしょうから、他流の人達からすればさらにどうでもいいこと。

私は親鸞さんに蓮如さんなど「さん」付けが一番言いやすい。

 

当流では各善智識のその称について親鸞さん以外の場合公式には「上人」呼びになりますが、証如上人の裏書がある阿弥陀如来絵像(天文七 1538)が伝わるお寺がありました。

私のただの個人的羨望ですが証如さんは顕如さんの父というところと戦国期真っ只中にあって門徒宗をまとめ顕如さん絶頂の基盤を作った方。

そして拙寺には顕如さんからの遺物の少々は伝わりますがそれは天正期後半のものですし、それ以前の品で「古い」という伝承についてはあくまで伝え聞くものばかり。眉唾の部類ということです。

 

要は少しでも歴史が古いものはイイということです(勝手な感情)。

天台宗など古い時代の創建のお寺からの変異(宗旨替え)を除いてこちらは「古い」を感じたところ。

まぁ私は古いもの好きということからそこに着眼したわけですがこれもどうでもいい件でもありました。

 

①かつて細川順行寺周辺をほっつき歩いた際、目で見た「細川」地名に感動して信号待ちの際、撮影したもの。

そこからしばらく巴川沿いに北上したのでしたがたまたま見かけた大谷派のお寺が徳山寺でした(場所はこちら)。

②の掲示板、再掲です。

④⑤は明和四 1767年と江戸期のものですが、三河で古い門が残ることは奇特なこと。三河地震で寺の門の崩落事案は少なくなく、近年の再建が多いものです。水屋の水盤には「丁亥」の文字が光っていました。

製作年代を記すということは後世の者たちにとって親切です。