雲影 濤聲 小華堂東雨の松

一日中強風が吹きっぱなし。

降雪そして大雪予報に群発地震の被災地のことを思うと如何にもそれは些細なことですが。

静岡でも東部の画像を見ているとその風の件、殆ど感じない様子でしたから、中西部特有の恒例の自然現象なのでしょうね。

 

被災地から比べれば泣き言レベルですが私はそれを理由に庫裏の温かい場所に籠りっきりで三食の食事に熱いお湯に浸かることができています。

まったく恵まれた環境で申し訳なく思うも、それが平常なのでした。

現場からは倒壊家屋からの死亡案件が多数寄せられていました。縁者を亡くした人にマイクを向けられる様が放映、それはそれは気の毒を感じるばかり。

またその応対に窮する方へ罪な事をするものだ・・・とも。

 

それには特に平常というものはありません。異常の連鎖を強く思いますが、その異常事態のきっかけというべき地震への即座対応について思い起こすのは祖父の姿です。

昭和40年代の後半でしたが、祖父は地震を感じるとほんの僅かな揺れであっても境内に飛び出していました。

時に褌以外の他に何も着用せずに家を飛び出す姿を見送った縁者一同はやれやれ感の言葉と嘲笑を浴びせていました。

それでも我先に下駄の音を鳴らしながら庫裏を飛び出す様を地震のたびに見ることはできましたがこれは、拙寺の安政大地震後の口伝があったからでしょうね。

 

他の子孫に言ったとしても取り合わない故か、自分だけさっさと逃げ去るところは不信感が募りますが、命を守るためにやるべきことは「建物からの一刻も早い退去」の旨、心に刻んでいたのでしょうね。

それを今になってようやくそれこそが正解なのではないかと思うようになりました。

 

タイミング次第ではただ見送る以外のことはできないかとは思いますが、地震がきたらのんびりせずに(冷静にとは言われますが)できればダッシュで飛び出すことが必要かと。

何せ拙寺の庫裏は古くて相当傷んでいますので。

 

扨、拙ブログでは「松」について時に記していますが、それは墓場に近い、また相応しいというか古くから墓標として代わる植物でありそれでいて雄々しく雄大、豪傑、優美と日本文化の象徴ともいえる木です。要は「松」の見えない文化はこの国には皆無といっていいのかも知れません。

先日はN氏より戴いた柄杓について記しましたが、その際、「これもどうぞ」という具合に持たされたのがこちらの松の額。

 

おそらく以前何かに描かれていたものを改めたものかと思いますが「小華堂東雨寫」と。

この人は掛川の人、兼子東雨(文久二年小笠郡掛川町生まれ。別号に小華堂  渡辺小華の弟子)。

渡辺小華とは渡辺崋山の二男。

 

雲影 

濤聲

丙辰仲夏