山本勘助の息 山本勘蔵信供戦死地の碑

朝から「ラジオどこにある?」と法事の前に確認。

車中ならともかく今、家の中でそれを使用するタイミングはありません。

PCでなんとなくAFNのネットラジオを流すくらいはありますが。

 

それは16時からSBS放送、滋賀県立大学中井均氏らのお話、「静岡市歴史博物館presents 家康の駿府城 そのスゴさに迫る!」を聴こうというもの。

以前ブログにてその講演会は法事と重なっていて「行けない」とボヤいたことがありました。それを静岡の秋野氏から博物館講演は「ラジオでどうぞ~」と紹介していただきました。

会のレジュメは後日秋野氏が確保したものを届けていただける

とのこと。

 

奥方より「そんなのがあったのか」と唸らせる代物が「ほい」という具合に。それが懐中電灯型のラジオでした。

ホントに電波が届くのか半信半疑、周波数を合わしてみればバッチリ聞こえて「これでスタンバイOK!」。

ところが、その時間近くに来客があってそのラジオの件いろいろが、無駄になってしまいました。

ということでネットラジオ「radico」を。それにてすべて解消した次第。尚聴くことができるのは24時間と少々のようです。

 

中井氏による駿府城の「大御所家康の城の唯一無二性」や本丸の外側、二の丸部分にあったという「仕切りの石垣(石塁)」 について・・・「なるほど・・・」と。

篠山城(仕切りは残存せず)や大坂城、二条城(仕切り門)石垣にもその意図が見られるとのこと。

また各時代の城郭の上に重ねて(壊して)築城されている例としては姫路城と駿府城(今川期~天正期~慶長期)くらいだ・・・と。

駿府城公園はただの公園として歩くのではなく城郭として各所確認しながら歩ける(唯一無二の)遺跡であることを再認識しました。

 

扨、昨日は勝楽寺前激戦地の山本勘蔵信供の墓について記しましたが、そちらは当初彼が徳川方掃討勢との戦闘に及んだ地で、勝頼の号令によって設楽原連吾川東岸の竹広に移動しています。

そこから敗戦色濃くなってからの敗走する姿が想像できるわけですが、勝頼の敗走に倣って、または勝頼を守らんがために同様東方への道のりを進んだのでしょうね。

ところがその逃走経路上には豊川渡河という大難題を控えています。

 

以前橋詰さんばし跡について記しました。

馬場美濃もそうでしたが敗走の兵はこの川を背にこの辺りを死地として最後の奮戦に及んだことは想像に難くありません。

その豊川近く、大海という地に山本勘蔵信供戦死地の標がありました(場所はこちら)。

 

というわけで山本信供はここで渡辺守綱の手で討取られ、その首を勝楽寺前の畑の中に埋葬されたということですね。

おそらく当初は首がない殆ど裸同然の胴体が川沿いに散乱し、それらは豊川に流される運命にあったことでしょうが、その首だけは渡辺の手で昨日の埋葬の地に手厚く葬られたということでしょう。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    お祭り大好き (日曜日, 05 11月 2023 00:33)

    山本信供の戦死地はポツンと離れているため印象に残っています。 山本勘助の富士宮の生家も一度訪ねたことがあります。 3日に出掛けた久能山の勘介井戸は昔と異なり、今は蓋があり深さはわからなくなってしまいました。
    4日は、14時から15時30分過ぎまで藤枝市で開催の直木賞作家安部龍太郎さんの講演を聴講し、出先だったため予め1500円程度の小型ラジオを購入しておき講演後に綱渡りで間にあわせました。 講演は「徳川家康と田中城」でレジュメなしでしたが、三方ヶ原戦・高天神城戦などを数字を交えながら解説しました。 安部さんは12日は富士宮の西山本門寺の「信長公黄葉まつり」に参加して、18日はTBS「不思議発見」に出演と最後に述べていました。

  • #2

    今井一光 (日曜日, 05 11月 2023 17:59)

    ありがとうございます。
    連休中は各地でイベントが催され、精力的に活動されていたようですね。
    圧倒的バイタリティーおそれいります。
    また面白そうな情報をお分けください。