姉川合戦屏風のあの旗印 厭離穢土欣求浄土

昨日も空は真っ青。

さすがにアスファルトに残っていた酔っぱらいの後始末を。

ホースを持ち出して門前付近を流しました。

案外しぶとく染みついていました。

またホースの届かない場所は無視。

少しの時間でいいのでドカッと降っていただきたい。

 

扨、新説新解釈新展開「新」づくめのあのドラマ。

これまで自身承知の歴史の流れが徹底的に新しく塗り替えられたの如くで早々に脱落宣言され日曜20時からの束縛から解放されている方々も多数いらっしゃるといいます。

 

今回のドラマのオチは当初からの展開から、家康が戦いの旗印に掲げた「厭離穢土欣求浄土」の語のメッセージを「平和で戦争のない仕合わせの世界」と解釈させて「めでたし めでたし」のものとすると読んでいます。

 

私の読みなどは概して外していますが徳川政権開幕からその平和が明治維新に至るまで継続できた理由こそがその精神にあったというそれ。

 

まぁドラマ・・・創作ということでどう転びどう立たせようが製作演出の勝手なのですが、私としてはもしその旗印の通りに・・・などのオチだったら・・・と考えると、それはちょっとばかり違うかな・・・と思う感じ。

 

戦場に持ち出す旗印は①自身所在をあきらかにすることが主。

よって②目立つこと、そして③メッセージ性ということになるでしょうが、その③のウェイトは低くどうでもいいような、たとえば個人的な座右の銘的お気に入りの言葉を、付加的に「その時」を後押ししてくれそうな神仏に関わる詞を記すような感じ。

 

姉川合戦図屏風については以前からちょくちょく記していますがそこに登場する旗印たちは神仏ゴチャゴチャの感。

上記以外にも春日大社や八幡大菩薩などの名も見られます。

⑤は姉川七本槍の一人、門奈左近右衛門の馬印ですがいわゆる「五輪」。それは真言系でした。

 

ドラマの展開で「平和な世界を実現させたい」そして「実現できた」などで締めるのかと推察。

「へへへ…」です。まさに「今風」。

現代、話題になっているようなテーマを微妙に散りばめて無理やりに展開しようとの意図が。

基本、女性を表に出しての展開、遠回り押し付けの寄り道もしかり。

 

だいたいあの厭離穢土欣求浄土の語を家康が採用したきっかけについて岡崎大樹寺で腹を切ろうとした際の、登誉上人の御説からというのが定説ですが、それは少々眉に唾。

その元ネタは以前の大河ドラマで展開したストーリーの踏襲なのでした。

明智光秀についてはこの前とは真逆、旗印採用については踏襲、いろいろあるようです。

 

厭離穢土欣求浄土の語は浄土真宗でも七高僧として名のある(正信偈にも登場)源信が往生要集で記している言葉ですが、その内容は阿弥陀浄土への羨望ですので上記③と④(当流「九字の名号」)は同じ意味と言えば同じようなもの。

 

ただし「厭離穢土欣求浄土」。

私は同じ阿弥陀仏オンリー1の真宗世界に生息していますが、その言葉の登場は我ら周囲には影が薄いものがあります。

 

 

三河一向一揆で家康の旗印となったことからその語を忌避したとは思えませんし同じ浄土系の詞として少しばかり囃されたとしても不思議ではないのですが。 

まぁ「穢土」は嫌ったとしても決して離れることはできない夢物語の願望であって(気持ちは大いにわかるが)「今こそを私の命を一所懸命にやりぬこう(穢土のまま)。

後の事、未来の事は阿弥陀さんにおまかせして・・・」といったところが真宗的なのかも知れません。毛利水軍の旗印もその類かも・・・

厭離穢土欣求浄土は「私の願望」。

「九字」はただ「阿弥陀にまかせる」というところ。

主語の違いがあるのかも知れません(自力と他力)。

 

人間はそもそもいがみ合い、闘争が好きで強欲、煩悩具足の身。

この世から戦争がなくなって平和な時代が訪れることは大いに期待したいところですがね・・・