土呂は蓮如の街 人の悪きこと私のわろきこと 浄専寺 

昨日も続き法事前後法事中も雨はまったく降らず。朝方だけザーっときましたが。

その前日の盂蘭盆会法要にて施主とご挨拶したときも「雨にはかないませんね~」の言葉を交わして別れていましたので今の勝手な思いを記せば「連夜の逆転サヨナラホームラン」級。

西日本で降雨災害のニュースが報じられている中、連日はしゃいでいることは憚れるところですが素直に有り難いことでした。

将に先週末はハッピーな心地で達成感満点。

 

尚、私が土砂降りズブ濡れになることはまったくOK。

半面参拝者がそうなるず、墓参を思いやんで中止にせざるを得ないなどならなかったこと、躍り上がるが如くの嬉しさを感じるのでした。

連日豪雨悪天候を摺りこまれていただけに。

 

どうやらその雨シーズンは終焉を迎えそう。

「強烈な暑さ」を思う盛夏の到来です。

以前から自他ともに認める「私の季節」なのですが・・・。

とはいえ弱音を吐くシーンが顕著となった御年ごろ、平チャラの躰ではなく「どう生き延びるか」なのでしょうね。

 

扨、昨日の大谷派の「土呂本宗寺」の直近に、同じ大谷派の浄専寺があります(場所はこちら)。

蓮如さんが発展させた街らしくこちらにもその名を標した、いろいろを確認できました。

特にあの詞、蓮如上人御一代記聞書<195>の

 

「人のわろきことはよくよくみゆるなり 

 わが身のわろきことはおぼえざるものなり

 わが身にしられてわろきことあらば 

 よくよくわろければこそ身にしられ候ふとおもひて

 心中をあらたむべし

 ただ人のいふことをばよく信用すべし

 わがわろきことはおぼえざるものなるよし

 仰せられ候ふ」

 

のポイント部分、私に向かってご指摘を受けているが如くの件。蓮如さんの像のベースに貼り付けられていました。

 

私たちは自分の事は棚の上、とにかく人が集まると他人様の「どうのこうの」(関西系の人からしばしばそれを「悪口」と)囁き合うことは大好きです。

そしてここの「信用すべし」は「私の耳の痛いこと」のことですがこの件ぶっちゃけて記させていただけば逆に私にとって「イイ話」「煽て噺」については信用してはイケないということでもあります。

そして私への注進、悪評は真摯に耳を傾けて反省しろということ。

まぁ大抵の人はその内容にもよりますがそんなとき「カッとして喧嘩」になることも。

 

要は前者の場合「税金など還付金がありますよ」「儲かりますよ」「当たりです」「プレゼントします」の一見して「よき話」をホイホイと信じてしまい金融機関に赴き言われるままに機械を操作して相手に送金してしまうことなどがそれでしょうね。

そもそも「お前はアホだから足元掬われて痛い思いをするぞ」などの金言はまずありませんが。

まぁその手の事を言ってくれた人といえば両親でした。

親身に思ってくれる人こそ私に辛辣な語を吐いてくれるのだと思い、「悪口」と感じることば・・・「お前はバカ」・・・に心から感謝して耳を澄ましましょう。できるかな~・・・

 

私は最近それを言われる前に(今のところそれを言ってくれる人は奥方と息子しかいません)「私ども(親子)はバカ」をこちらから先回りして言い出す始末。

「フロム・ダスク・ティル・ドーン」なるおバカ映画に登場する「牧師をやめた」という人物の台詞、娘の「どうして辞めたの?」の問いかけに「実は私はバカかも知れないと思うように」(拙ブログでもどちらかで登場)の唐突が心に残っているからですが・・・。

 

真宗的に言えばその「バカ」は坊さんを辞める理由にはならないというところ。

「それこそが人間だから」の開き直り(諦観)。

つまるところ「それでも私はおかげさまで生かされている」からですね。図々しくね。