善峯寺奥の院薬師堂 こちらも桂昌院がらみ

最近拙ブログは「私のやらかし日記」の如くになっている感ありますがいまところ「致命的痛烈」とは至っていないものの毎日毎日マヌケなヘマをやらかしています。

それも前回「踏んだ」同じようなマヌケシーンの図をリプレイ、再現図を見せています。

日々勉強、生かされている・・・などとの開き直りは仏の包容力によって看過されているのでしょうが、通説それは「三度まで」といわれますので、いい加減匙を投げられても仕方ない頃かも知れません。

ただし阿弥陀さんは「まぁ何度でも・・・」の大盤振る舞い。

ただそれに甘えている私がいます。

 

先日は「前車の覆る」について記したのでしたが、私が前に通過した時に作った轍に私がハマるに等しいマヌケ振り。

もうどうにもならないレベルになっているのでしょう。

 

それはまた老化が拍車をかけているところは間違いないところです。

特に私が思うところは「70代は特に注意」です。

わたしはまだその齢頃ではありませんが。

その世代の電動工具、チェーンソー、刈り払い機による事故が散見されるからですね。猟銃の誤射もその手のものです。

これは特にいわゆるプロによる事故です。

 

最近お話した方からハンディタイプの電動ノコで「危うく手を落すところだった」の様をお聞きしましたがその方は機械のプロ。職人さんです。

包帯の痛々しい様子を拝見してその話になりました。

 

ついついいつもの安全基本の動作を省略して「大丈夫」の躰で直線をガイドに手を添えて切断を進めていたそう。

切断を進めれば体が自然と伸びていくのですが、普通はそれを想定して長物の場合、機械を腰に近い位置で切り進めていくスペースを設けるのがベストですがその時は腕を伸ばしきった時に工具が何かに引っかかって「はじかれてしまった」とのこと。

 

「慣れ」には思わぬところに大きな失策の口を開いていることは確かなことです。

以前といえばご門徒さんの大工さんが卓上のノコで手を落す寸前までの怪我をしていました。

 

私も長尺ものを直線切りすることが多いため卓上のそれを用意していますがその使用は無茶苦茶に怖い。

天気が良ければと刈り払い機の出動を控えていますが、毎年それによる死亡事故が各地から聞こえてきます。自身の身体だったり近くの作業者だったりの事故ですが、まずは年配者による足元不注意による転倒がきっかけになっているよう。

 

電動にしろエンジン式にしろ何かの拍子に機械が跳ね上がって思わぬ事故になりますね。

たくさんの「やらかし」を抱える私ですので、その工具使用に関しては特別な注意と配慮が必要ですし、漫然とした「大丈夫」の躰が禁物であることは知っています。

しかしわかっていながら「やらかす」のが人間ですからね。

何度も何度も同じ轍を踏む・・・足元を掬われる。

「大丈夫」と思った時にそれは起こるもの。

 

扨、それらをお見通しの諸仏。

昨日に続いて善峯寺。

しかしあのお寺は・・・と驚かされるのは阿弥陀堂に釈迦堂・・そして薬師堂まで。三如来の揃い踏みの境内。それでいて本尊は千手観世音菩薩でした。

 

こちらの薬師如来が「出世薬師如来」と呼ばれるのは桂昌院が徳川家の玉の輿と「出世」したのち父親が崇拝していた薬師如来を父母の孝養のためと堂を建てたからですね。

お寺にとっては有徳なる方です。

 

既に私はこの世に「出世」しています。有難いご縁を戴いています。

よって「地位と財産、そして名声を得る」の如くの意のその語はどうしてもイケ好かない言葉に感じます。

これ以上の「出世」などまったく不要。

あとは、「遠く宿縁を慶び」ながら「退世」するのみとなります。それが順繰り。