ひと時の温かい朝は去ってここ連日10℃代前半の庫裏の温度計の数値。
本堂内は一つだけ大き目のストーブを残し火鉢や他のストーブを隅っこに追いやって退役させていましたが、昨日から再び燃料を満タンにして復帰していただきました。
温暖な静岡在住の皆さんを外の陽光の下から比べて格段の低温を感じさせる本堂内に長時間滞留させること、あまりにも気の毒ですからね。
北海道や北陸、東北辺りの豪雪地域の低温環境で生活をされている方たちからすれば「なんと軟弱なことか!!」と御叱りを受けることでしょうが、私の場合においてこの地を選択、住処として一所懸命の地として選んだのは約450年前のご先祖様の判断。
他の地の環境と比べるというのも甚だ失礼な話ではありますが、とにもかくにもそれは「有り難い」のおかげさま。
一時は地震だ津波だ富士山噴火だのと人様によっては鼻つまみにも近い形で嫌悪されたかとも思いますが最高の「住処・棲家」といってもいいのでは・・・。
しかしその時は「おまかせ」しています。どうせ文句たらたらの躰になるとは思いますが。
さて、昨日は「変成男子」から当流の葬儀勤行集から和讃の一部を紹介しました。
「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の寶海みちみちて 煩悩の濁水(じょくしい)へだてなし」
でした。
その際「私は」とは記しましたが大抵はどちらでもこの和讃を採用していることが多いかと思います。
男であっても女であってもですね。
和讃は御開祖親鸞さんが記したものですが、やさしい文体で私でもハッキリわかりますし、まず聞いている方にもその意は伝わりやすいものがあります。その辺りが御開祖はじめ蓮如さんの御文など「伝わりやすい」ことが真宗の繁盛に繋がったのかと思います。
実はこの和讃にはやはり御開祖が記した元の出典があります。
それが「入出二門偈頌文」(にゅうしゅつにもんげじゅもん)です。
それが画像①。
観彼如来本願力
凡愚遇無空過者
一心専念速満足
真実功徳大宝海
このように抽出すると七言絶句の漢詩の如く。
その難しそうな漢字の羅列を耳に馴染むようにかな混じりの歌にしたということですね。
ちなみに「遇」の件。「あう」ことですが・・・
「凡愚遇(もうお)うて空しく過ぐる者なし」と仮名が振られて
いますがなかなかそれを見る機会はありません。
一言で「あう」ということですが真宗の仏典からそれをいえば大抵がこの文字を使いますね。
私にとって仏に関わる「うれしい出あい」が多いことからこの字が頻出するのですね。
また別に「値う」などをあてることもありましたがやはり「遇」が圧倒的。
画像は拙寺に遺る掛け軸。「親鸞聖人御影」とあります。
この四句を拝み観て、祖師との対面、その詞を歓ぶといったものですね。
拙寺九代の祐厳が文化六年(1809)にこの軸の表装を修繕したことがその裏書に記されています。
以下は真宗聖典から。赤矢印。
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