一昨日のNHK番組「知恵泉」の田沼意次・・・の出来に感動し、ご機嫌の御様子の史跡研究会小澤氏が訪ねてこられました。
これからのテーマはいよいよ「南鐐二朱銀だね」ということで合点しました。
先日もお菓子の「南鐐二朱銀」について記しましたが相良には一時「賄賂最中」なる自虐ネタを発した代物が出回っていました(現在もどちらかで継続しているとは聞きます・・・)。
如何にもその「賄賂」とは悪徳政治屋のイメージですが、それを旗印にすること自体がその発想の原点として違和感があるところ。
その「賄賂」こそ田沼の敵方のネガティブキャンペーンであってむしろ田沼の実生活など質素なものだったと聞きます。
そして現代の日本社会もそうですが江戸期は特に「贈り物社会」ですからね。
社会全体が事にあたって「依頼に応えていただいた」「御面倒、お手数を掛けた」「感謝の意」を表すいわゆる「礼儀」として物品、時に金員の提供をするのがあたりまえの時代でした。
よって前者は相良を代表するお菓子を考案して町おこしまで企むに相応しいものをと考えたのでしょうが言うまでもなく雌雄は決せられました。
方や無根拠な自虐、方や画期的歴史的事実ですからね。
これからその二朱銀をあしらった色々な物が出てくれればよろしいこと。
ということで、その日はあの番組について牧之原の市長さんはじめ議員さんたち、田沼銅像で盛り上がっていた方々のうちどの位の方たちが視聴したのだろう・・・などとの会話になってしまいました。
今や「南鐐二朱銀を知らずして田沼を語るな・・・」的遺物としてその名を知らしめたと思います。
そして、先般拙寺報恩講で堂内に上がった御一同にはその番組をの宣伝をしていたのですが、果たして・・・
さて、画像は先々週の日曜日に寄った當麻山無量光寺の山門です。
雨の中暗い画像で失礼。
江戸初期の建造とのこと。
相模原市のサイトから貼り付けます。
「腕木門(うできもん)の親柱の背面に袖をつけ、屋根をかけた高麗門と呼ばれる形式の門です。
門としては比較的簡素な形式で、親柱に絵様繰形(えようくりかた)のある肘木(ひじき)と腕木(うでき)をさして、桁(けた)を受けています。
間口は12尺(約3.6m)、柱高は13尺(約3.9m)あり、親柱も見付(みつけ)寸法が1.5尺(45㎝)もあって、大寺にふさわしい堂々たる門です。
17世紀初頭の建築と推定されています。
この形式の門は神奈川県内には類例が少なく、その中で最大にして最古のものであり、きわめて貴重です。
主要材は、控柱(ひかえばしら)が杉であるほかは欅です。」
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