相良油田パンフレットと臨済寺 「接種済御紋」

昼頃から遠く雷の音が聞こえていましたが当相良は晴れ間が広がっていました。

台風が向かってきていますので日曜には大雨になるのでしょうが、ここのところの好天続きは有難いことです。

そこで数年放置していた中庭の五葉松とカエデの剪定に一日かけました。先日のやりかけのクロマツはとりあえず放置です。

 

もっと丁寧にできないものか・・・と指摘を受けそうな気もしますが(もっともそれを思うのは私だけ)、次から次にやりたいこと、手掛けるべき宿題が山積みですから、やることなすことやっつけ仕事になります。

まぁ、もともとそんな性格ですからそんなものでしょう。

 

脚立の上で作業していると相良の歴史通Aさんの来訪に気づき、しばし歓談。

その方は「文芸まきのはら」企画ものの執筆、御常連で前回も拙寺と檀家さんたちにかかわる色々について記されていました。

 

次回のその相良の歴史は相良油田にスポットをあてるとのことで日夜執筆中とのこと。

先日は「こんな本あるよ」と紹介いただいたものが「相良石油会社加入姓名簿」で、いわゆる出資者名簿。

拙寺の11代祐曜の名が記載されていたと。

 

史料館の長谷川氏が元ネタということで早速問い合わせて画像を確認させていただきました。

その本の所有者は県内在住の某コレクターだといいその画像はブログでの使用はできませんが、私は飛び上がるほど驚きました。

拙寺にてたくさんの書籍を目にしていますがその本は見たことも聞いたこともない代物です。あったとしても既に処分してしまったのかも。

 

名簿には石坂周三ほか約80人ほどの名が記されているそうで株数は「壱株」、投資金額は「二壱五圓」とありました。

「お寺では大澤寺だけ」(長谷川氏)とのことですが叔父にそれを話すと「代々儲け話に飛びつきやすくまた、大損する傾向」と。要は山師の血も流れているってことで了解。

 

別口でその書籍を手に入れたいものですが難しいでしょうね。

家の中のどこからか出てくれば・・・。

 

①②③はAさんから。

相良油田の新しいパンフレット。

最近あのあたりに足を踏み入れていませんのでまったく知りませんでした。

③は臨済寺資料調査報告会のパンフ。6月26日土曜日です。

もう参加を締め切っていますがどちらにせよその日は所要があって無理。

 

④は横浜在住の「奥の墓道」氏より。

64歳以下接種が始まってその接種券が届いたという「自慢」
です。

葵の御紋印籠ならぬ2度接種の御紋(接種証明)を取って相良に来訪、私どもをひれ伏させるとのこと。

その「自慢」には理由が・・・牧之原市はまだ届いていませんので。

接種券が優越に浸る代物になって他を凌駕できるというのなら早いところ打った方がよさそうですね。

打たない奴を蔑む・・・

嫌な社会です。

 

 

さぁ、その時間差(横浜市と牧之原市)とはいかなることに・・・。楽しみです。

場合によっては首都圏から遠州移住希望者がいたとすればその気持ちが変わるかもね。これからの住みやすさの指標になります。

接種の遅延がすべてではありませんが、その差に行政のヤル気というものが見えてきますので。

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    野村庄右衞門幸正 (金曜日, 25 6月 2021 18:31)

    わたくし、医療従事者枠のワクチン接種の2回目を明日受けます。2回目は結構しんどいと経験者から直接聞くのでかなり気がかりです。
    しかも、打ってくれるお医者さん注射下手っぽくてそんなに痛くないはずの筋肉注射が痛い。。。

    相良町の幕末期から明治中期くらいまでの質屋さんの資料ってあるもんでしょうか?

    うちのご先祖さん、呉服屋やる前は質屋やったりキンキ救命丸を売ったりしていたそうなのです。

    そちら方面から調べてみたいのですが、何をどう探せばいいやら?という感じです。
    あと、明治から大正時代の相良の商工会の資料とか。商工会なら資料残してありそうな気もしますが見せてくれるでしょうか。。。

  • #2

    今井一光 (金曜日, 25 6月 2021 19:33)

    ありがとうございます。
    やはりお調べのものといえば相良史料館しかないかと思います。

    商工会の件、ハッキリ断じることはできませんがおそらく
    「わからない」と一蹴されるでしょうね。