全国2793感染者、554重傷者、34死者。
静岡県中部のベット占有率は75%を超えました。
「Go To 止めてくれ」の現場の声を無視するかの如く冷徹な態度と受け取れました(ネット配信サービスの一コマ)。
「まだそれ考えていません・・・」とのソーリ殿の言葉(「ガース
ー」とのお茶らけ自己紹介含めて)でしたが、それはただ「Go Toやめたくない」の意地を張っているだけ・・・としか思えませんね。それとも私と同じ、ただのアホなのか?・・・
「とりあえず、今は・・・」の一旦停止について、それすらもやりたくないというのは意固地以外の何物でもないといった感じ。
お口からは「素早い対応、スピード感をもって」と毎度同じ言葉が並べられますが庶民の「時間」の感覚とは大違いのような。
それほど経済とやらが「重い」のでしょうかね。
国民の健康と命と比べて・・・
わからないまでもありませんが。
国民の大変より手前の懐・・・選挙資金に買収資金、ウラ金・・・あの人たちには「経済」とは立身出世の魔法の言の葉なのかも知れません。
「Go Toやめてちょうだい」の声には「Go Toは(感染拡大に)関係ない」「Go Toの感染助長にエビデンスがない」「Go To 以外に感染の疑いはある・・・」をその「しない理由」としていますが、庶民の目からしてその理由はそろそろ通らないのでは・・・。「なぜ」としか言葉が出ません。
イギリスでは「夏のバカンスによる人の移動」が現状感染爆発の原因であるとたくさんのエビデンスを公開して断定しているようですよ。
自分の名より国民の命を守る・・・その件どなたか教えてあげられればいいのに・・・というのが庶民の願い。
不幸なのは弱い庶民だけという図式ですね。
それらに手を伸ばし続ける医療関係者には敬意を表します。
敵はコロナではありますがソーリ殿のお頭の中が前任者同様、かなりの実力不足だったということがわかりました。
まったく下手を打ちすぎですね。
さて、敗戦濃厚の設楽原、勝頼の敗走劇が開始されます。
振り返ればそれが武田家滅亡の序章の始まりだったのですが。
勿論、退却判断も説得されての上ですが目前で繰り広げられる家臣団ボロ負けの様相、当然受け入れなければならない状況でしょう。
当人としては後ろ髪を引かれる思いだったでしょうが、ここは一つ「無念ではあるが甲斐まで無事に帰って、今一度態勢を整えるべき」というのは常道です。
しかしどうにも立て直せないほどのところまで勢力雌雄はこの地で決してしまったのでしたが。
主将敗走の撤退戦はより過酷です。
特に家臣団としては追撃を捨て身で食い止めつつ「勝頼を逃がす」というのが使命となりますから。
それはどちらの戦いであっても家臣団大変は同じですね。
逃げる勝頼もその名も体裁もかなぐり捨てて「命あっての・・・」と鳳来寺方向に走ります。
その本陣を下ってスグ信玄由来の「諏訪法性」(すわほっしょう)の甲を脱ぎ捨てて身を軽くして「さぁ一目散」の躰で逃げに入ったというのがこちらの田んぼ付近。
ということで「甲田」という地の由来となっているといいますがこちらも「田」が付く地名です。
この湿地帯で「騎馬の進撃と鉄砲の待ち伏せ」の戦法をぶつけたら結果は自ずからわかります。
私の疑問は「なぜ」ばかりです。
設楽原の東の舌状台地を一つ越えた場所になりますが、勝頼の陣からはまさに下りて来たところ(場所はこちら)。
小さな小川がありますがその設楽原側に一つ石碑が立ち、看板があります。
④の後方に新東名。⑤奥に県道が通ります。右方向に行けば台地を超えて設楽原。丸山砦付近、名高田前激戦地(老将の言 勝頼は 封じたり)となります。
奥右側台地が勝頼才ノ神本陣方向。
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小山昭治 (土曜日, 12 12月 2020 08:40)
今の馬防柵は距離が短いですが、実際の柵は万里の長城のように
長かったのでしょうか。素人は馬防柵を避けて進撃すればいいのに・・・
回り込めばいいのに・・・と思うのですがね。
それともメンツで正面からぶつかったのでしょうか。
今井一光 (土曜日, 12 12月 2020 18:59)
ありがとうございます。
馬防柵は地元の地形について吟味に吟味を重ねて「ここしかない!!」という場所、
連吾川が作った湿地帯の渡った場所に連なっていたと思います。
推定で長くて2キロ程度だったかと思います。
武田勢にも対峙するにおあつらい向きの台地を提供し誘い込むに最高の地形。まさに周到な計画があったものと思いますが、その通りなれば連合軍の勝利はゆるぎない場所でもあったわけです。そこは賭けのようなものがあったはずですがまんまと勝頼はその台地上に着陣します。
その状況に武田は突進していったのですが、それは歴史の謎でもあります。