高島 安養寺子安地蔵の石仏たち

先日、檀家さんから「そろそろ法事を、と考えるが・・・」との伺いをたてられました。

新コロの影響で春先のその予定はキャンセルされていましたが「そろそろいいかも・・・」とのことです。

とはいえ全国的に感染者は一向に減る兆候はないですし昨日は浜松で結構にまとまった数が出ていましたね。

よって私が「コロナが終わってからでも・・・」(アフターコロナ)と言えば「コロナは終わらないよ・・・」と。

まぁ今のところ病気が収束していくといった感じはまったくしませんね。

 

しかし「コロナは終わらない」は厳しい言葉でもあります。

世にいう「ウィズ・コロナ」なのでしょうが、やはり個人的には蓮如さんの御達し(疫癘の御文)や良寛さんの「災難」についての件、わかっていても自身その病苦を味わうことは真っ平御免ですし私が無発症の時に他者へそれを感染させるのも我ながら怪しからんことであります。

 

何よりその後遺症について相当酷いようでかなり長期にわたってつづくとのこと。未だ仕事が出来ずに寝込んでしまっている方も少なからずいらっしゃるようです。

倦怠感に手足のしびれ聴覚味覚障害については良く聞くことがありますが脳の機能低下と糖尿病になりやすいというのは嫌な感じです。

「少なくとも2年経過観察」が必要といいますのでそれこそ「ウィズコロナ」の如く、付き合いが長くなることは辛い。

何といっても通院が続きますので時間を取られますし自己負担分は生活を圧迫してきますね。

 

昨日はNHK番組では「隠れコロナ後遺症」についても触れていました。

診療を受けられず(国の縛り~37.5度以上4日間・・・)に自宅で療養した人たちの中で長期の不調に陥って回復が遅れている人たちです。

抗体検査によって陽性反応が出て「やはりコロナだった」ということがわかるのですが思えばあの国の指針は意味不明、酷いものでしたね。

今やどなたもその責任について問わないようでもあります。

まさにそのシバリはテキトーに決めた感ありました。

 

「私はコロナにかからない」という気概を皆さんが持ち続けて行動していけばいいのですが、ハメを外して騒ぐのが好きな国民性ではないとはいうものの最近の緩々の雰囲気あいまって平チャラの躰で騒いで「感染しました」などいう例があるよう。

「自業自得」と吐き捨てておけばイイという意見もありましょうが、お国の方が率先してその「緩々」感を演出していますからね。また、その「自業」の方から感染(他業)したとしたらその苦業をどう自身承っていくのでしょうか。

 

さて、本日は路傍の石仏を。

琵琶湖のほとり近江高島の安養寺子安地蔵境内の石仏たち(場所はこちら)。

何となく目について車を停めました。

叡山からも遠からず、近くの清水山城なども山岳寺院を改変して築城される例多々ありました。

城が攻め滅ぼされれば寺院も消滅しますね。

そういった寺院の墓域にはたくさんの石仏があって路頭に迷うことになるわけで、時代を経てこういった街区の祠や公民館(公民館の設置場所は往々に古くからの寄り合い所や寺社の建屋)に集められたものです。

 

肝心の地蔵尊については見ることができませんが、私はこういった石仏たちのお出迎いは満足します。

おそらくそのお地蔵さんよりこれら石仏の方が古仏でしょうね。