高天神講と吉岡弥生館展示会案内 相良史料館へ

一昨日、史蹟研究会の先輩が「スマホに変えたよ」と庫裏に飛び込んできました。

すると、「水野さんの高天神城の講演、どうする ?」とのことで要はその連絡をしたくても以前のガラケーの「メモリーが飛んだ」ので相良史料館の特別展示のついでにやってきたとのこと。

 

その方は何が何でも「家にエアコンは入れない!!」と言ってこの酷暑の夏も窓オープンと扇風機で過ごした人ですが、まさかここへ来て携帯をスマホに変更するとは驚かされました。

いつもまた「オレはガラケー」と吹聴していましたから。

何の事はない、メモリーの移行はショップですんなり行われていて試しに私の携帯の番号を伝えて電話を掛けてもらったところ、しっかり相手先として画面に出ていました。

 

その方からは以前ショートメールが来ていましたので「LINE」のダウンロードを勧めておきました。

どこかにスマホ教室に行っているようで「ただ今勉強中」とのこと。

 

スマホもパソコンも加齢による脳みその劣化には悪くないグッズだと思います。

 

さて、その方の行った相良史料館の特別展示に昨日私どもも行ってきました。

拙寺からは例の蕉園の「祐公令子名説」の御軸が場所を取っていましたが隣に掛かる大澤寺八景軸を久しぶりに拝見し「あと七つあるとして・・・」などと空想していました。

しかしあれだけの体裁を整えるには史料館の長谷川氏は2~3日夜なべしたのでは・・・と思うほど。

うまくまとめられていました。

 

私の今回の一番の注目は江戸時代のものではありますが、御近所旧宝泉寺の釈迦如来坐像とその「脇」です。

黄檗宗のご本尊ということで釈迦三尊形式ですが中央に釈迦如来の座像、脇侍は向かって右に摩訶迦葉尊者、左に阿難尊者の立像と黄檗系寺院本尊の形式を踏襲。

廃寺になった宝泉寺は今は小さな祠しかありませんが、管理は波津区の有志たち。

ただしわざわざ「それを見せて頂戴・・・」などいうタイミングがありませんでした。

よって今回それを拝するのが初めてのことでした。

まぁ宝泉寺(本多家有徳の寺院関りとして)今も続いていれば展示会に貸し出すことはなかったでしょう。

ちなみに廃寺になったあと石坂周造がこの無住の寺で生活していたといいます。

 

しかし私の存じ上げる黄檗の寺といえば、本尊とは別にたくさんの独特の仏像たちが並んでいますので廃寺になったとき「どちらへ・・・」などとも思う所です。

 

①②は高天神城。特に①の先、奥の神社の建屋の背後の尾根を行けば私の一押し、武田方の手が推測される大きな二重堀切がありますのでおすすめ。まぁまだまだ草ぼうぼうでしょうが。

まぁ高低差含めお気軽というワケにはいきません。

 

③④は直近の高天神城かかわりのイベント。

③の募集は5日から。④は吉岡弥生館の特設展示。こういった試みもあったのですね。

両方とも顔を出してみる予定です。

⑤は昨日の相良史料館のパス。史料提供者用かも?

史蹟研究会のあの方は顔パスのはずなのですが、「そんなお金をケチってどうするの?」とちやんと入場料を払ったことを主張していました。