今昔物語 大江定基出家して寂照となる 無常

晴れの日の午前中はここのところの習慣になっている洗濯。

テラスの屋上の乾き具合、特に昨日はGパンにチャレンジ。

奥方は「今度はトム・ソーヤか?」と寅さん風に「バカだねぇ」と吐き捨てていましたが、あの風通しのいい屋上をもっと利用しなくては勿体ないですからね。

尚、シャツは30分、Gパンは2時間弱で完璧にアガりました。

まぁ冬場の強風時はさすがにムリでしょう。飛ばされて失うことになります。

 

午後一番にあった御自宅での法要のあとは、小和田先生のブログにあったNHKの「土曜スタジオパーク」(「麒麟がくる再開SP」)、足利義輝特集・・・?を視聴。

30日から大河ドラマが復活するようでテレビ小僧にとっては有難いことです。

 

その後は海岸までお散歩時間。海は清々しく青く風は心地よし。ただし久しぶりの樋尻川の河口まで降りて閉口させられましたね。酷い悪臭が鼻を突きました。以前はそれほど気にはならなかったような・・・

 

これは生活排水によるものか、水産加工処理のものか知りませんが前者であれば当家の排水もそちらに流れている筈ですのでその臭気の元、加担しているかも知れません。

世界の海で「酸素濃度の低下」について言われていますがそれを指摘されている箇所について1960年代は45か所だったそうで、現在に至っては約700か所に増えているそうです。

 

デンマークの排他的海域のデータですが8月時点で低酸素海域の面積が前年の2倍に当たる約3300平方キロになっていたという記事を見ました。そのうちの約3分の1の面積は「深刻」な状態といいます。

そのメカニズムとしては「川から海に水量が増えてまた海中の栄養素が増えることによって植物プランクトンが急速に増え、その死骸が分解する際に水中の酸素が少なくなる」からのよう。

キレイに見える海にもこういったウラ側があるのでした。

 

モーリシャスの宝の海に原油1000トンをぶち撒けた下手人の国に住み、ただそれを傍観するだけの私がその件語るのはおこがましいか・・・

 

海の様子は早い流れが見えて「夏は終わった」感ありましたが気温だけはただ高温を維持していますね。

 

帰宅してからは畳の上でゴロ寝。

昨日記した如く、奥方は夕食のために台所に立ちましたが、メニューはハンバーグシチューでした。

これをぐつぐつジャガイモが柔らかくなるまで煮込めばさぞ暑かろうと思います。

 

テレビはいつもでしたらニュース番組をただ流しているだけですが、昨日はどちらも同じようなものばかり。

そこでBSのニュース以外の番組に。「寅さん」にチャンネルを合わせました。

ちょうど「黒沢ファミリー」といっていいのか私の好きな志村喬に大原麗子、ドラマの最初と最後に大井川が出てくるシリーズ(1978年)でした。

最初に蓬莱橋を渡るシーンが出てきましたが、当時のその橋のボロさが味を出していましたね。

その時からあの橋は何度も流されているはずです。

 

その寅さんシリーズ(「男はつらいよ 噂の寅次郎」)の大原麗子を見ていてその美貌と懐かしさとその番組で寅さんが志村喬に説かれた今昔物語(寅さんは「こんにゃく物語」)のお話、若い奥さんを連れて三河に下向する(巻十九第二話 大江定基出家して寂照となる)と丁度オーバーラップしてしまいました。

かなり脚色して寅さんはそれを吹聴していましたが。

 

今昔物語のその若い奥さんは重い病に罹って死んでしまいますが、その妻の美貌を忘れられない大江定基は彼女を身の近くに置いたままにします。

当然の如く遺体は変貌を遂げますね。

挙句死を受け入れて埋葬しなくてはならなかったということですが、どれほど美しいもの、権威を誇るものであってもすべての人間はその「無常」に生かされていて決してその法則に抗うことはできず、そのことを「はやく知らなくてはならない」という示唆がありました。

 

当流には

「仏法には 明日と申す事 あるまじく候う 

             仏法の事は いそげ いそげ」

という語がありますが仏というものに縁遠い生活に慢心が重なれば「その時」のダメージは強いかも知れませんし、人の死、ひいては自己の死という厳然、無常まで見失うのかも知れません。

「遺体に添い寝するほど」「腐敗臭を嗅いでその変化に気づかされる」にまで・・・

気づきがないと己が病に伏せることになりますしね。

気づいた時は既に遅し・・・よく聞く話です。

やはり「先」ではなく「今」気づくことこそが偉大なのでしょう。

 

その後出家した寂照がいわゆる能の「石橋」(広大院着物の題材)の寂照ですね。能では唐にまで渡って浄土を求めたことになります。

 

昨日私が「焼肉屋で思った件」は寂照の思う思索とは遥かに低レベルですが猪や雉の殺生を喜ぶ人々(今昔物語)に愛想を尽かしそれをきっかけに出家したという件ありました。

人には大いなる反省の機会も与えられているのです。

やはり坊さんが焼肉焼いて「おいしい おいしい・・・」ではね。

でもごめんなさい、「糧」として私が生かされていることだけは実感していますのでお許しください。

 

①が樋尻川。古くからこの川から舟が上ったといいます。

何度か記していますが波津湊の語源となった地です。

今は鼻をつまむほどの近寄りがたさ。

まぁ江の島辺りよりはマシですが。

 

②③夏の終わり、相変わらず砂浜には石ばかり目立ちます。

中高時代はよくこちらを走りましたがもっとずっと砂が豊富でした。

⑤ゴミはこのザマ。

⑦は松の状況ですがこの画像の中には茶色に変色したものの他枯れたものが2本見えます。マツクイムシ対応ができていないことの証拠でしょうか。

黙って見ていれば全滅するはずです。

⑧は奥方酷評の私の「旗印」。少なくともここにこうあれば私が在宅しているということの証になるだろうと思いますが。

奥方はノータッチですので。