幸福度100% 分陀利華-白蓮華 蓮生寺の袈裟 

国際幸福デー」なるものがあったというのは初耳でしたがそれは3月20日とのことのよう

国連の関連機関は毎年この日に「世界幸福度ランキング」を発表していますがそういえば当ブログでもかつてその順位について記していました。

今度の日本の最新ランキングは62位で昨年の58位からさらにダウンです。あまり「幸福」を実感していないということですね。

 

個別でいえば「自由度 64位」「寛容さ 92位」といいますので総合62位の様は「健康寿命 2位」の足を大いに引っ張っているようで。

まぁ自由度、寛容度が世界標準からかけ離れているということですが心当たりはありますね。

 

ほんの一つ、例えば今の流行り言葉、「1(ワン)チーム」の語の何かと連発されている様には違和感があります。

何かの目的に向かって「一致協力して突き進もう」的で一見悪くなさそうな未来志向を感じますがその勇ましさの裏には「反対意見とその脱落は許さない」の風を感じてなりません。

必死の形相は窺えますが寛容さというものが消えていそう・・・

 

チームプレーが苦手の人も居るはずですし、それに少しの疑問を持つことも許さないといった全員参加の感覚は、戦時下の挙国一致と「隣組」の監視システムにも似ているような気がして。

自由と寛容に欠ける国の様相は民の成長が比較的未熟であることを示しているのでしょう。

 

昨日は「白蓮華」という語を記しましたのでその件追記。

当流第一の経典、正信偈からその語を探せば「分陀利華」でしょう。

正信偈から

一切善悪凡夫人  聞信如来弘誓願

仏言広大勝解者  是人名分陀利華

 

子供のころからこの部分に進んで来ると「ふんだりけ」の読みが「踏んだり蹴ったり」の語を連想し「おかしな言葉」と思ったものでしたがこちらはインドの「プンダリーカ」の漢字のあて字。

プンダリーカ=白蓮華でした。

 

その四句を訳せば

「一切善悪の凡夫人 如来の弘誓願を聞信すれば

 仏、広大勝解の者とのたまえり この人を分陀利華と名づく」

要は「白蓮華の人」と名づく・・・ということですね。

 

その最高に素晴らしい「白蓮華の人」になるには「信心をもって南無阿弥陀仏の名号が口から出た人」です。

そして何よりその白蓮華の人は真宗世界、幸福度100%の人と言ってもいいのでしょうね。

 

「蓮」といえば私が真っ先に思い浮かぶのが熊谷直実です。

法名「法力房 蓮生」。

駿遠では藤枝蓮華寺池公園の蓮生寺

 

画像は蓮生寺が本多家から拝領された五條袈裟に輪袈裟。

京都六条御袈裟衣所松屋武右衛門方調整と。

 

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コメント: 4
  • #1

    がつお (日曜日, 22 3月 2020 11:03)

    幸福って難しいですよね。
    本当は自分がどう感じるかであって、他人が評価するべきものでは無いと思いますが。
    「寛容さ」に関して言えば私個人的な意見ですが、
    自分の信じる道に対する批判を理解しそれを取り込んだ上で、その道をさらなる高みに進めること
    のような気がします。
    もちろん私はその境地には至っていないので自己の正当性について反論をしてしまいますが、本音を言えば宗教もその高みには到達していないのではないかと。
    世界にいろいろな宗教がありますが、根本に平和を唱えながらも他宗教を容認しないがために争いが起きる。
    人の欲(自分の信じる道の賛同者を増やしたい=勢力を拡大したい)を押さえることが出来てない宗教も結局は利を追求しているに過ぎないのかと。

  • #2

    今井一光 (日曜日, 22 3月 2020 18:10)

    ありがとうございます。
    まったく仰る通りです。
    「寛容さ」といえば「心の広さ」とか「恕」を思いますが、幸福度の高い国の人々はきっと包容力もあって些末なことに拘ったりしない完璧か・・・と考えてしまいますが狭い日本に居てそういった国々の人たち(特に北欧)と関わりの少ない私にとってはワンダーランドでもあります。
    世界的に見ても宗教間の対立は紛争の根源となっていますが、この狭い日本でも鎌倉期以降各分化した仏教宗旨間で紛争が絶え間なくありました。各時代政治勢力に利用されてきたこともありますが「揆を一にする」とはいえ詰まるところ武装蜂起したワケで本来の仏教的救済とは掛け離れていたということ。

    これは当流全体で一揆と同様にみられがちな一向宗と同一視されることを嫌う風潮があるのは武装決起グループとは一線を引きたいという気持ちの現われなのかも知れません。
    厳密に一向宗=浄土真宗に非ずは周知のところではありますが、概して世間的に見れば「=」で繋がってしまうものです。

    蓮如さんがお文でしきりに他流を誹謗するな、他の神仏を敬えと重ねて言っていたことを思い出しますがそれこそその裏返しの現象があったのでしょう。

    私も「自己否定」や「俯瞰してみる」ことの大切さを教わっていますが、何かにつけて「自己主張」したがる傾向があります。
    それもまた小さな人間そのものなのですが。

  • #3

    くりくり (日曜日, 22 3月 2020 20:01)

    幸福ですね
    普段幸福を求めて大して生活してませんね
    日々の生活があるだけでして
    娘息子がなんとかやってってくれればそれでよしなんですがね
    3月で私、退官になります。さて、仕事を離れるわけでうsが、
    幸福はどこにあるのでしょうね。

  • #4

    今井一光 (日曜日, 22 3月 2020 21:23)

    ありがとうございます。
    私が人様にそれを強く言えるかは別として、自身にそうあるべきと思うのは
    「今あるように」ですね。
    くりくりさんの仰る通り、「子供がなんとかやってくれている」ただそれだけで幸福度
    アップですね。
    色々と希望だとか夢だとか高いハードルを設定しそれがかなわないと
    単純に「不幸せ」と決めつけてしまうのはイケませんね。
    幸いにして私どもにはそれを示唆する妙好人といわれる先達の生き方があります。
    時にその遺した言葉を読み返すと心が洗われます。
    そして何より心が広くなった気にさせてくれます。
    デカい心で人間そのものを成長させていきたいものです。