よろしかったらどうぞおこしください 田沼300年

猛暑も暴風も大雨も過ぎた昨日の日曜日は絶好の行楽日和だったのかも知れません。

神奈川県内在住の妹家族が母親に会いに当地に来ていましたが東名高速は行きも帰りも「地獄の大渋滞」だったとのこと。

まるでGW並みと。

 

きっと関東地方在住の方々の欝憤を一気に晴らしに各レジャーのために移動したのでしょう。

そんなものなのですね。

かたや同地域で過酷な天からのお裁きのごとくの天災の連続で悲鳴を上げている人々がいる中、われ関せずのリゾート気分。

それをいうのもまぁ無茶というものですが。

とてもそれを私は否定などできませんしむしろ当たり前のことだろうと思うところですが少しだけ・・・心に残った現象を見たわけです。

 

私は午前中の法事のあとは夕刻からの南ア×ウェールズの試合が始まるまでぼけ~っとして過ごすばかりですから他人様のお楽しみに対して文句を言う資格など微塵もありませんし、人とは自分主導で生きる動物ですのでその手の傾向は「そんなもの」・・・なのです。

 

ということで以前、被災は皆が抱えている不安で、それを自然への「納税の時」というような言い回しをしたことがありましたが今考えれば考えるほどその実の無いお裁きを何度も何度も受ける人があって、時に命まで奪われるなどの現実、天とはなんて気まぐれで理不尽きわまりないものかと思います。

たまたま私はいつも毎日がお気楽でその「納税」は先延ばしになっているだけですが。いずれ強いお達しがあるのでしょうか。

 

ではその理不尽からどう逃れらるのか・・・どうすればいいかということになりますが、それは絶対に逃れられないということですね。

何と言っても気まぐれなのですから、その督促は。

よってしばしば人によって差があって超理不尽な結末。

どうしても理不尽=人生なのですね。

 

良寛さんの「災難」を思い出します。

 

「災難に逢時節には災難に逢がよく候

        死ぬ時節には死ぬがよく候

         是ハこれ災難をのがるゝ妙法にて候」

 

何度か拙ブログに登場する語で仏に「まかせる」ほかはないところを記した有名な言葉です。

やはり私は「生き長らえたい」・・・(禍には逢いたくない)それが本音です。

世間様は手を差し伸べてくれても限界があります。

自分の命は自身の手で長らえるよう努めなくてはね。

いずれの時も。

 

画像はいよいよ田沼300年本番の月に入ろうとする今、色々なところでその宣伝を見かけるようになりました。史料館では展示が始まっています。

 

①旧東海道、手越から丸子周辺の一コマ。

静岡からの帰り道は高速道路をケチってこの先のバイパスに入って金谷に出るコースを取っています。

バスの鼻先に「わらしな」の文字が見えます。