康元二(1257) 重文 圓光寺切妻造本堂 

報恩講を迎えたあとの「厳冬」というものが生き物は勿論、私たち人間にとって極めてリスキーな季節でありその期間を無事にすごすことができ温かい春を迎えられたという歓びが4月初旬の「春の法要」として結ばれるという考え方は現代人にはピンと来ないでしょうね。

雪深い北陸や北陸地方の御門徒が拓いたといわれる北海道ではその季節はただただ冬ごもり、外に出たくとも外出することが命がけのようなものでしたからね。

よって極端な言い回しですがお隣さんとの再会は春を待つしかないということになります。

 

今に至ってそういった感覚はなくなりましたが冬は死のイメージといっても過言ではなかったはずです。

生き物たちの活動も静寂を迎えますから。

 

私が冬について(こちら暖かな遠州であっても)恐怖を感じるのはやはり血管についてのリスクです。

往々にしてその血管の破裂や血栓は冬に多いですね。

なによりそれは致命的なことです。

血圧高めの現代人にとって嫌な季節を迎えるということなのです。ところがなかなか人は「まさか自分は大丈夫でしょ」という「得意時」を因とするのかあまり注意を払おうとしませんね。十分のケアを心がけご一同この冬を乗り切られますよう。

これは身近で決して大袈裟な事ではありません。

何せ自宅で、特に風呂が危ないといいますからね。

 

さて私が子供の頃でしたら同類共の遊び場と見まがうお寺の境内に立つあの九重塔の正面にはやはりその塔と同様、鎌倉期からこちらに立ち続ける本堂がさりげなく・・・(詳細は掲示板参照)。

 

このさりげなさこそ近江という地なのでしょう。

重要文化財の指定とはなっていますが実はそのお隣の大行事神社の本殿も同じ指定が成されています。

あの時はその静謐な空間を私独りで占有させていただきました。そこにはネコの子一匹見かけませんでしたからね。