蓮如展の帰りに息子を拾って「はせべ」へ

春到来の名刺代わりともいうべき春風は致し方ないといえばそうなのですが色々な物を飛ばして厄介な自然現象ではあります。各地で被害も出ていました。

政府は大規模な洋上風力発電の適地を選定するといいますがこの駿河湾から選ばないでどうする?と思うくらい当地には風が吹きまくりますね。

 

その風ときたら当家にも不要なものばかり運んできますが、先日吹いた風にて近隣のお宅の庭にトタン屋根のトップを覆っていたであろう部材(上記最後の画像)が飛んできたといいます。

そのお宅では至急屋根屋さんを呼んで点検してもらったところ、自宅屋根はまったく問題なし。

 

「ではどこから飛んできた」ということになりましょうがその業者は「お寺からだろう」と超出鱈目な事を言って帰ったとのこと。

そこでそのお宅の方より「お寺から飛びこんできた屋根を置いといたから・・・」ということで当家奥方に伝えて帰ったとのこと。

 

それを聞いて半信半疑で私が確認に行くとそれは鐘楼脇に置いてありました。

やはりどう考えても当家でこのような形状の屋根はないと断定しどうしたものか数秒間思案したのちやはり電話を入れることとしました。

「まったく心当たりがありません」ですね。

そもそも当家はトタン屋根はなく瓦屋根ですし・・・

 

まぁこの程度の金物ゴミを廃棄することなどまったく苦でもありませんが、その「屋根屋さんの推測」を元に「境内に置いといてやった」的言い回しと、おそらくそのままこちらで処理して黙認したとすれば「あんなもの飛ばしやがって」等々後から何を言われてしまうかわかりませんからね。

ホントにこちらから何かが飛んで行ったとしたら平身低頭でペコペコになって「ごめんなさい」とはなりますが。

ということで今度の件、お持ち帰りいただきました。

 

さて昨日は閉展間近の蓮如さん展を拝見しようと碧南市へ。

ついでに京都を出立した息子を三河安城で拾うという算段でした。

2018年で蓮如上人が三河に巡化されて550年を迎えるということで催された展示会です(場所はこちら藤井達吉現代美術館)。

 

「三河門徒」という言葉がありますが、この地の天台系禅宗系の寺々を蓮如さんの三河巡化によって真宗寺院と変えていった歴史があり、その後の結束が三河一向一揆として家康と対峙していく源流となったのでしょうね。

何しろ真宗寺院の多い場所でどちらの阿弥陀さんにもお参りしたいところですがキリがないくらいです。

 

息子には「その先の木戸城の成瀬藤蔵もそうだが、お前の曾祖母(先代の母親)は三河法行寺の出」につき三河門徒の血が流れているのだと説きながら昼食・夕食兼ねて岡崎の「はせべ」へ。

カリっとした食感のうなぎ屋さんで以前は「奥の墓道氏」と同行しました。