核の傘と角の笠  西本願寺境内地「角坊」

 先日の台風襲来騒ぎ、というか実際に北海道は被害等発生のニュースがありました。遠州でも牧之原台地先端の牧之原市周辺はまったく風雨なし。私は一応は警戒して植木鉢を風のあたらない場所に避難させていましたが肩透かしでした。

ここのところ雨というか集中豪雨の予報がイキナリ出ることが多いように感じますが、その雨域のラインはいつもの通り袋井・掛川・島田等国道1号線に沿って移動しているよう。

南に下りたとしても吉田町どまりで、わが牧之原市とは隣接しているとはいえ、全く違う世界が発現しています。

 

現在太平洋上には台風が2つ、熱低が1つと、いよいよ「台風シーズン突入」を思わせるお天気状態で油断は禁物ですが、家中では誰か出かける前には、俄か天気評論家となっている私に「今日は傘必要?」などと聞くことが多くなっています。

私の方は、「雨が降ればその時」という感じで傘を持ち歩く事などはまったく気にしませんが・・・

 

傘と言えば最近巷では「核の傘」。核爆弾を持っていない日本が同盟国のアメリカの核爆弾保有誇示による核戦争の抑止力というものを享受することですね。

日本政府が広島・長崎の世界で唯一の被爆国でもあるにも関わらず、その御利益を期待して「先制攻撃をしないとは言うな」だのと「ちょっと図図しいだろ」と思わせる傘に入れてもらっている国の総理大臣がちゃちゃを入れていました。

 

2発も核爆弾を破裂させられたうえ、自ら福島で放射能をまき散らして福島県民始め国民の難儀を主導してしまったことに対して「恥ずかしい」との感覚と反省が皆無のよう。

「核爆弾はいくら何でもヤバすぎる」ということを日本人が声を大にしてあげていくということは、本当は世界が期待していることなのでしょうがね。

 

さて、画像はお西の角坊(すみのぼう)。

西本願寺の現在地とはかなり離れていますが西本願寺の飛び地ということになっています。

以前は「角坊別院」と呼ばれていたようですが、幕末に寺地を手配して建てられたといわれますので古さはありません(場所はここ)。ただし由緒としては1262月11月28日に親鸞聖人が息絶えた地ということのよう。

この件は文献によって推定地を求めたもので西本願寺のオリジナル、「よくわからない」というのが通説の様です。

 

①この門は西本願寺の南書院から移築されたものですが、よく見ると「笠」がかかっています。

この「笠」は勿論親鸞聖人がかつて被っていたいたもの、といっても昭和11年に建てられた銅像ですが、戦時下の金属供出令によって「戦争にとられた」そうです。

 

親鸞聖人の胴体は既に溶かされてなくなっていたのかも知れません、辛うじて「笠」のみ回収できたといいます。拙寺の鐘もやはり溶かされたことはどこかで記しました。こちらでも時代の「愚」というものを見せつけられました。

私は「罰があたる」という語は日ごろ使いませんが、それらの傲慢に「仏罰」が落ちたのかも・・・考えてしまいます。

勿論その仏罰は戦争を進めた為政者にではなく国民がこぞって蒙ったということです。それが戦争でした。

 

阿弥陀様始め十方の諸仏たちへ。

どうか「仏罰」を落とす人について、もしお悩みでしたらそれは中央に居る「腹の中の黒い人」、為政者限定でお願いいたします。

 

④の「角」の字。真ん中の棒が下に突き出ていますが・・・

⑦は本堂の額。「還浄殿」と記してありますが、数年前まではよく通夜や葬儀の際、提灯にその「還浄」(げんじょう)の語が記されていました。字の如く「浄土に還る」=「往生」のことですね。