新企画「私のイェイッ」 年2回  辛抱が一番

おかげさまで雨の春の法要は杞憂に終わりました。

朝方は小降りで出店者の出だしの悪さと私含めて皆さんの気の重さはズッシリと感じられましたが、時間経過とともに予想外に降雨はなくて、法要終了後の外は明るい青空と太陽が顔を出していました。

入堂参拝者も少なくあらず、用意した御佛供の餅は計算外となってはけ、おすそ分けの分まで無くなってしまったくらいです。

 

毎度恒例の「御佛供(おぶく)焼き」の提供は担当者(次男)不在のためにもっとカンタンに出せる「磯辺焼き」にしたということも餅消費に繋がったのかと思います。

 

ちなみに「御佛供焼き」とは朝、御内佛にあがったご飯をどのようにして食すかという問題から―カラカラになってマズイ!!―私どもの寺で「食べた」一つの方法を紹介したことから始まったものです。

衛生上ラップの上にご飯を盛りますが、お昼すぎに御内佛から引き揚げたあとそのままラップにくるんでペタンコに潰します。

ペラペラの御煎餅状にしてしばらく放置。少し乾燥したらトースターなどで焼き、サラッとお醤油をつけて2度焼きしました。

これを前もって大量生産しておくという担当が次男の役廻りでしたが、そこまで手を掛けられないということから餅焼きにしたのでした。結構好評のようで、提供する婦人部にも食べる方にも気軽でよろしかったようで。

 

さて、標記「イェイッ」はノーベル文学賞のアイルランド詩人(『マディソン郡の橋』)とは違います。

そもそも私は彼人の詩を語れるほど「誌的センス」ナシですので。

 

その語はいわゆるノリノリの雰囲気で語るそれ、「遺影」のこと。春先の世話人会以降、私が勝手に思い付きだけで新企画と称して始めました。

今年の秋の報恩講から事前回文して告知していこうと思っていましたが、今回の春の法要でも「とりあえずやってみよう」ということで門前に小さくその手の事を掲示しました。プレ撮影会ですね。

カメラマンは寺楽市世話人の布施(石油)さんに依頼、話が進んで部材、照明器具、アドバイスを旧写真館の植田さんにいただくことができました。13人の撮影希望者があって各3カット撮影代金100円を頂戴しました。デジカメですから当山PCにメモリーを保存。写真は現像してお渡しします。

 

突然の提案でしたが13人とは意外に多かったと・・・

遺影を撮影するといえば、真っ先に思うのが不謹慎。「縁起でもない」とお叱りを受けることもあると思っていたからです。

 

私のそのセールストークは・・・真面目な話から。

私の「後生の一大事の件」、それは絶対的に訪れる事。

あまり捉われてはいけないことですが、逃げ廻ってそれを耳に栓をしている事ではありません。そもそも遺影というと私の経験上、どこの家でも慌てて作ることが多く「故人の納得」はどうかなという気持ちが残りました。

そういう場合、家の中の引き出しをひっくり返し、昔のスナップ写真等を掘り起し、拡大して加工してもらうというパターンです。粒子もあらくハッキリした容姿には程遠いものがあります。よってこれから年2回の撮影会に参加していただくことによって自分のお気に入りの写真がゲットできるということ、そして「自分の死というものに気概(一本の心棒・芯棒)を持つことによってそれを乗り越え、これからの人生をより明るく楽しくするのだ」と強く断じ、大阪人に著名な思想「人には辛抱が一番」を引き合いに出してご説明しました。

 

コレは浪速の商人気質をシャレで言った言葉です。

大阪は「御堂筋」という大通りが中心を貫き浄土系の宗旨の多い土地柄ではありますが墓碑名にその「芯棒」を採用した墓石があるほど家訓の如く大切にされてきたことが感じられます。

シャレとは「人には辛抱が一番」は何に繋がるかといえば要は「金」。「金=素晴らしい」の意だったのです。コレを「カネ」と解すればさすが大阪人気質と言っては失礼ですか・・。

「金」という字をパーツに分解して

「人 +ニ+ ハ+| (芯棒=辛抱)+一」で「人には辛抱が第一」とのこと。

 

そしてお遊びとしてのそれは・・・。

「年2回のそれぞれ自分のブロマイドのベストショットをとりあえず10年20枚目標に集めよう」です。

コレクションは義務となって集める(生きる)、寺に必ず来る楽しみとなりましょう。

顔に刻まれる皺の数を数える楽しみだって作れます・・・みたいなことを言ったかと思いますね。

 

まじまじと其々の画像を拝見しましたが仕上がりは上々、殆どプロ並みでした。コレもずっと続けていきたいイベントとなりました。

 

昨日の一こま。ハーモニカの実演は檀家さんの昇三さん。

10本以上のハーモニカを駆使。奥が深い世界を垣間見ました。