「艦だ ! 艦だ !必捷の鍵は軍艦だ!」無根拠な盲信

戦争という大量殺人をやってのけようというお国の大義は一部のエラい人の恣意的な発想で進められたお馴染みの言葉、「国民の生命と財産をまもるため」の表現、耳にタコの様。コレはどちらの国でも共通です。

 

人間は時間が経つと、それとともにかつてやらかした失敗や過失、他者への迷惑についてはコロっと忘れます。お恥ずかしながら私「3.11の件」はドンドン脳裏から薄れて行きます。

たった4年の経過であるのですが・・・。

被災地の皆さんは現在進行形ですが、正直いって以前の「親身さ」のような感覚は薄れていっています。

 

楽しいこと、面白いことは何時までも忘れられずに、しつこく2匹目の泥鰌を狙ったり、次の兎が出てきて杭に衝突するのを待ち続けるものですね。

要はバブル時代に恩恵があった人は次の機会を待つでしょうし、常習的で不健康な習慣(煩悩の数々)、あるいは勝手な妄想ストーカーを「止めろ」と言われて止められないというのもそんなところでしょう。

 

富国強兵時代の日本の国の忘れられない過去の栄光は日清・日露の戦勝です。今でいう中国とロシアの大国と一戦かましての勝ち戦、世界中が驚いた奇跡の2連勝でした。

特に日本海海戦での勝利は大概の戦前予想を履しロシアのバルチック艦隊を一蹴して世界の列強国の一員としてデビューするきっかけともなったといっていい事件でした。

 

一度勝ったらやめられないというのもバクチと同じで、慢性戦勝気分はアドレナリン値上昇させて常時周囲の国に喧嘩っ早さを見せつけるものです。

これは仏教でいえば手に負えないレベルの「思い上がり・驕り」で典型的「必滅」を示唆することは言うまでもないこと。

 

対中・ロ連勝のあと、日本はそれこそが何よりもコレ、と第一義であると凝り固まったように推進したのが「大艦巨砲主義」でした。

バックボーンには鎌倉時代以来の「イザとなったら神風が吹く」「日本は絶対に負けない」的な神国日本の海戦不敗神話です。

 

「大東亜共栄圏」なる日本を盟主、主導したアジア圏の確立という意図(これも大義)も大いなる思いあがりだったでしょう。

というわけでその名を取った「大東亜戦争」(東條英機~巣鴨プリズンにて処刑~)に突入したのでした。

 

この名は死語というか禁句となって戦後は「太平洋戦争」や「15年戦争」と呼ばれるようになったことは御存知の通り。

「無条件降伏」はアメリカ主導ではあるものの対連合国であったわけですね。

戦後時間が経ってその「無条件」について、どうでもいいような日本の立場について論争に発展するなど、徐々にあの戦争における有り得ない正当性や中立性、為された罪悪への無反省と仕舞には「終わったこと」「無かったこと」とするような風潮が徐々に浮かび上がってきたというのが現状です。

 

勿論、それらの国民感情の背中を圧すようなかつて日本国が侵攻した国々の「現在のスタンス」というものがあって、それがこの国民の感情を逆撫でして、ますますその傾向強しといったところなのでしょうね。

 

心情的には「折に触れて何度も謝らせやがって」という気持ちが湧きあがることもあるでしょうが、それは私たち庶民、下世話の者レベルまで。

特殊な諸先輩方主導で、しでかした事、庶民が始めた戦争ではありませんが、お国レベルでは確りいつもと同じように、同じ言葉で真摯な反省の弁を発していただきたいと私は考えます。

お相手と摩擦を起こさないという現実的な利害は勿論の事、やはり「反省して忘れていない」 という表明は相手を安堵させます

 

「諸先輩方がしでかした戦争」と記しましたがわが真宗大谷派には仏教者としてあの戦争への強烈な反省というものがあって、「絶対に忘れてはならない汚点」として私たちに伝えられています。それはモロにあの戦争の遂行に協力し、檀家さんの子供たちを死地へ「喜んで」赴かせてしまったという強烈な悔恨です。

 

少し考えれば有り得ない話ではあります。

日頃説法では「人は皆平等、殺生はいけない、命は大切に」などと言っているくせに、「挙国一致」「お国の方針」などと言われると檀家さんを本堂に集めて「人殺し」の推奨。

本当に意味不明の時代を過ごしたものではあります。

時代がそうさせたといえ、戦争そのものへ向かった政府を容認した国民としての反省はもとより、僧侶としてのその大きな矛盾への反省があるわけです。

 

さて、戦艦武蔵の画像がお茶の間に。

眼前に登場したのは「戦後70年」に「浮上」した忘れ去られた歴史でした。

1000余名の人員とともに深海に沈んだ艦影はまさに「エピタフ」。声なき声を耳にした思いです。

武蔵は前述した「大艦巨砲主義」の一環、海軍が鳴物入りで送り出した不沈艦です。大和、信濃(空母)と兄弟艦で、本当はそれらよりさらにデカイ戦艦を作ろうという計画もあったとのこと。

 

「まだ大丈夫と思って新しい方策を思考しないでいるといつかそれが陳腐化して他者にとって代わられる」との先生の談を昨日記させていただきましたが、この巨艦作戦こそまさにそれ。

 

「決めたら最後まで全うする」風の言葉がありますが、この勇ましい励ましの語も状況次第。

当時としては海洋国日本にとっての世界進出は「海」であるイメージが先行することはやむを得ませんが、日露戦争の「日本海」大勝利から真珠湾直前あたりまで、海軍の力こそ、それであるという思想が蔓延していました。

 

一旦その方向性が決まると、「もう止まらない」というのもいけないところ。

どのお国もその「思想は現実から乖離している」、と航空機の優位性に気付き、アメリカなどは完全に飛行機作りにシフトしていました。

 

人も国も一旦驕れば「見えなくなる」ということですね。

常に過去、昔のこととはいえ、振り返り、足元を見つめることは大切だと思います。

 

画像は大谷派屈辱の画像。仏教の教団が教団ぐるみで戦争に加わった証です。

 

①大谷派内学徒出陣の図。本山御影堂前の壮行式です。

「生きなば念仏して国家に尽し、死なば往生念仏して更に還相の妙用を得しめわれることを喜ぶにある・・・」とありました。

「死んで尚喜びなさい」という祝辞。

 

②「建艦翼賛運動について」の標語が標記「艦だ ! 艦だ !必捷の鍵は軍艦だ!」です。その後お国は兵器の材料とするために仏具や梵鐘まで徴収していきました。

 

③「建艦翼賛運動」によって各寺が檀家さんから集めた浄財を本山に送りましたが、それを受領した本山からの感謝状です。

金員の額は本山の国への協力の物差しだったのでしょうね。

 

④「目で見る昭和」から。昭和十三年公布「国民総動員法」によって軍事教練に参加させられた僧侶たち。

 

真宗の僧侶のうちすべてがそれらに協力したわけではありませんでした。救いですね。植木等のオヤジさん植木徹誠の「戦争は集団殺人」を思い起こします。それらの僧侶に対する本山からの仕打ち(僧籍剥奪等)も酷かったですね。

その過ちも今、私たちは忘れてはいけません。

 

川崎の中学生の事件でB少年の「ごめんねと言いながら切った」とありましたが、人は我が身の煩悩以外に上下関係、命令系「上からの圧力」というものがあればやはり「何でもする」ものなのです。子供だからでは済みません。状況が同じだったら「私はやらない」とは決して言いきれないですね。

戦争というものも同様の状況に陥らせるのかもしれません。

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コメント: 1
  • #1

    今井一光 (月曜日, 09 3月 2015 21:09)

    コトタマ様
    ありがとうございます。申し訳ございません。
    リンク先の添付についてはお断りいたしますので削除させていただきました。
    今後ともどうぞよろしくお願いいたします。