通夜の御文 最近のマイブーム

私が葬儀式導師という立場のご縁を頂くとき、「蓮如さんの御文」の拝読は2度あります。

通夜と繰上げ初七日の後ですが、葬儀+初七日法要の最後には「白骨の御文 5帖-16」の拝読はお決まりとなっています。

 

 ところが通夜の御文となると以前はどれにしようか(当山先代は通夜に御文の拝読はありませんでした)と悩みましたが最近は大抵、「疫癘(えきれい) 4帖-9」、そして90歳以上の方には「大聖世尊 3帖-4」がマイブームです。後者のものは若干長めの御文で時として場内から「ざわつき」が起こります。

少しはスピードをあげて拝読しますが、どうしても皆様方「おしゃべり」がお好きなようで今時どこの葬儀式でも焼香の後や御文の際は開口タイム、我慢できずに御口が開いてしまうのでしょう。

やはり式に参列するからには「自身が施主」になったつもりで事にあたって欲しいものですね。最近は少なくなりましたが1年くらい前は平気で携帯のノー天気な着信音がホールに響き渡るなんてことはザラでしたね。まぁ当の本人が一番驚いているのでしょうが・・・

 

 噂によるとある御寺院様はそれら不遜不敬に憤慨し、無言で葬儀読経を中止して退出したとのこと。そのあとの収拾に施主一同困惑しきったことは想像に難くないところですが、その僧侶の豪快さもさることながら、その態度にある意味共感できるところはありますね。まぁ実際問題としてその手のことに怒っていたら「キリが無い」ほどですが。

 

お義理で参列してペラペラおしゃべりして場を汚すのなら「最初から参加しなければいいのに・・・」と思ってしまいますね。

そういえばある自宅通夜で極寒の冬日に、「あ゛~寒い 長すぎる」と台詞付きでどこかのおばさんに白い目で見られてしまいました。 恐ろしや。

 特に既に飽きるほどこの手の葬儀に参加してすべてのことを熟知している諸先輩の方々、ご注意あれ。逆に若い人たちこそ静かにその場を過ごされていますよ。

 

 

それでは長いといってもそれほど大したことはない「大聖世尊」の御文

 

それ、つらつら人間のあだなる躰を案ずるに、生あるものはかならず死に帰し、盛んなるものはつひに衰ふるならひなり。

さればただいたづらに明かし、いたづらに暮して、年月を送るばかりなり。

これまことになげきてもなほかなしむべし。このゆゑに、上は大聖世尊よりはじめて、下は悪逆の提婆にいたるまで、のがれがたきは無常なり。 

 

 しかればまれにも受けがたきは人身、あひがたきは仏法なり。

たまたま仏法にあふことを得たりといふとも、自力修行の門は、末代なれば、今の時は出離生死のみちはかなひがたきあひだ、弥陀如来の本願にあひたてまつらずはいたづらごとなり。

しかるにいますでにわれら弘願の一法にあふことを得たり。このゆゑに、ただねがふべきは極楽浄土、ただたのむべきは弥陀如来、これによりて信心決定して念仏申すべきなり。 

 

 しかれば世のなかにひとのあまねくこころえおきたるとほりは、ただ声に出して南無阿弥陀仏とばかりとなふれば、極楽に往生すべきやうにおもひはんべり。それはおほきにおぼつかなきことなり。

されば南無阿弥陀仏と申す六字の体はいかなるこころぞといふに、阿弥陀如来を一向にたのめば、ほとけその衆生をよくしろしめして、すくひたまへる御すがたを、この南無阿弥陀仏の六字にあらはしたまふなりとおもふべきなり。

しかればこの阿弥陀如来をばいかがして信じまゐらせて、後生の一大事をばたすかるべきぞなれば、なにのわづらひもなく、もろもろの雑行雑善をなげすてて、一心一向に弥陀如来をたのみまゐらせて、ふたごころなく信じたてまつれば、そのたのむ衆生を光明を放ちてそのひかりのなかに摂め入れおきたまふなり。

これをすなはち弥陀如来の摂取の光益にあづかるとは申すなり。

または不捨の誓益ともこれをなづくるなり。かくのごとく阿弥陀如来の光明のうちに摂めおかれまゐらせてのうへには、一期のいのち尽きなばただちに真実の報土に往生すべきこと、その疑あるべからず。このほかには別の仏をもたのみ、また余の功徳善根を修してもなににかはせん。あら、たふとや、あら、ありがたの阿弥陀如来や。

かやうの雨山の御恩をばいかがして報じたてまつるべきぞや。

ただ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と声にとなへて、その恩徳をふかく報尽申すばかりなりとこころうべきものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

 [文明六年八月十八日]

 

画像は牧之原市の2つの火葬場のうちの一つ謝恩閣(場所はここ)。

合併前の榛原、吉田地区の施設です。設定は古くこれまで色々な事件にあいました。

なかでも前代未聞の出来事は台風通過という悪天候の中、納棺、点火直後付近一帯が停電してしまったことです。

炉の燃料は石油類だと思いますが送風にコンプレッサーを使っているため停電したらストップしてしまうのでしょう。

 

その時は点火直後だったため少しばかり焦げた棺を取り出して葬儀会場へ舞い戻り、葬儀式を終えて丁度復旧した頃に火葬場に向かいましたね。

 

 相良での斎場勤行は一旦寺に帰りますが、こちらの場合葬儀までの時間に余裕が無い場合、収骨も兼ねてこちらの山で時間を過ごします。

天気のイイ日は周辺の山歩きです。

画像①は北側、奥の丘が富士山静岡空港の縁。

②は西側、勝間田川を越して勝間田城址の台地を望む。

 

③は今年の「相良草競馬」のポスター。(ANAのサイト)