凍結の岩村城  明智城

通称「女城主」 海抜717m標高日本一
通称「女城主」 海抜717m標高日本一

やらなくてはならないことがたくさんある割にはそっちを放ったらかしにして好きなことは勝手に突き 進みます。

昨夏の金山・岐阜・墨俣・大垣城に続き 岐阜県内へ。

 

飲まないくせして神主の中村さんに誘われた昨年末の忘年会で刀剣と歴史を趣味とする方に「是非っ」と勧められたお城がこの岩村城です。

その方は竹田城(兵庫県朝来市)にも先日行かれたとのことでそちらの素晴らしさのお話も伺いましたが何せ竹田城は「遠すぎ!」ですのでひとまずこちらを訪問です。

忘年会では岩村(岐阜県恵那市)の土産だった地酒「女城主」で盛り上がっておりました。勿論小生はウーロン茶。

日本の秘境100選の1つ

岩村城の麓の旧藩主邸跡にある歴史資料館は寒すぎて(NO暖房)一刻も早く出たいという気持ちが先走りロクに拝観することはできませんでしたが印象的だったのは1700万年前のデカい鯨の化石です。

 

「歴史」には変わりないのですが何よりこの山の中が海だったのだという連想は相当のインパクトでした。

目を疑いました「岐阜県だろココ」。

 

国道の気温を示す掲示は午前中-2℃でした。(ただし無風)

昼ごろ0℃になったとき「相当ラクだな」と感じてしまいます。

慣れって凄いですね。

 

年末の相良の強風を伴う寒さに大騒ぎをしたことに恥じ入るばかりです。

相良の雰囲気そのままでこの地に立って肌身感じたその寒さは筆舌に尽くしがたいものでした。冷凍庫の中にいる様、心底冷えます。

お昼にお邪魔した旧岩村庁舎前のお店「ふるさと」のおかみさんが言うには

「朝晩はそりゃあ、しびれるが今日の寒さはそんなでもない」。岩村という街に対して並々ならぬ気持ちを熱く語っておられました。

カニ釜飯と五平餅が昼食。蜂の子釜飯は遠慮しました。

山城登城には冬が一番という自分なりの考えがあります。

 

①植物の繁茂が衰え周辺景色や位置関係が確認しやすい

②熊・蛇・蜂という危害生物との遭遇がない

 

という理由が何よりですが、これは降雪のない地域の山城にのみいえることですね。昨年は2月10日11日に近江、越前方面へ向かいました

 

安土・長浜・佐和山・小谷・福井・北ノ庄・一乗谷そして丸岡城を歩きましたが、長浜城と福井城、北ノ庄城・丸岡城以外は降雪、一乗谷は麓で20㎝、城で1m近くあって断念。賤ヶ岳も諦めました。

 

というワケで冬には利点はあるものの山城だと「雪」という最悪の障害があります。小さなポイントも隠れてしまいますしね。

は箱根山を控える小田原生まれで雪道にはある程度「行ける」という冬場の心構えと自信がありました。

勿論怖さも十分知っているつもりでした。

アルバイトの経験で深夜箱根新道のチェーン規制や雪かき、融雪剤散布の要員の仕事もその「くだらない自負」につながっていたと思います。

「岩村城」はナビの案内・・・「目的地付近です」のアナウンスを前に端折ってたまたま目に入った櫓の方向に向かいその前の駐車場に停めました。

旧藩主邸である資料館を拝観し徒歩で登城開始。下山はアイゼンが必要かと思うほど緊張しました。

まさに「『下山の思想』だね」と友人、奥の墓道氏と二人、数回、滑り転びながら降りてきました。

 

「女城主」という地酒の宣伝も各所に。

酒飲みの友人にくっついて岩村の造り酒屋へ入ります。

成り行きで酒蔵の見学まで同行。

中で試飲を勧められました。

勿論私は酒は飲めませんのでお断りしましたが「それならこれを」と差し出された甘酒を「女城主」を試飲する友人の隣でいい気になっていただきました。

 

信じられないかもしれませんがそのあとが無茶苦茶だったのです。

少量のアルコール成分が残っていたのか激しい頭痛と倦怠感が襲い、ロキソニンを飲んでも全く効きめ無し。

次の城、中津川の苗木城へ向かっていましたが急きょ反転、国道257を浜松方面に帰るため(「ふるさと」おかみさんの推奨)ナビを今一度「岩村城」へセットし直しました。

 

岩村城へのナビの到着点は、あとで分かったのですが本丸下(ほとんど頂上)出丸の駐車場だったのです。

絶不調で引き返す気にもなれずただただ岩村へ行けば257号に出られると信じて走った山道は岩村城の北東斜面。

半信半疑で何とかなるだろうと(前述のくだらない自信)超楽観の「どーでもいいや」の投げやり気分で去年のクリスマスに降ったといわれるカチカチの氷雪の上を4WDをLOWに入れて進みました。

 

「目的地付近数百m」とナビゲーションされたあと車のタイヤ4輪とも空転ロックし5m(友人談)ほど道路を滑り下りました。画像は横になって前輪が崖寸前で停まったところをバックして切り返しを試みる図です。勿論ガードレールの様な気の利いた設備はありません。

その後この場での切り返しは諦めて後方の駐車帯まで(5㎝ずつくらいの慎重さで)下げてから車の向きを変えました。

 

下山するために私の意思に反する全三回の「空転ズルズル下がり」の試練を受けました。

崖下に落ちなかったことが不思議なくらいです。私の顔はまさに蒼白だったとのこと。奇跡的。おかげさまです。

たすかりました。本当に・・・しばらくの間、車の挙動に不信感を抱いてしまって走行に酷く恐怖感がつきまといました。

冬の雪道はもう二度と行きたくありません。ごめんなさい自然の法則・・・・。浅はかな自分に恥じ入ります。

 

最後の画像は午前早くに登城した明知城周辺の図です。

本丸近くにあった礎石ですが無知な私で申し訳ありませんが俄かには信じられません。穴がキレイに掘り込まれた礎石なんて見たこと無かったので。 ちなみに明智光秀にかかわる明智城というものは他にもう一つあります。 

この寺の裏には遠山の金さん御一統の墓地がありました。

(明智家と同族の主張)

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コメント: 2
  • #1

    小山 昭治 (火曜日, 10 1月 2012 08:38)

    お体を大切に。
    何かがあれば困るのは檀家です。
    家族も困ります。
    自分一人の身ではありません。
    雪道にご注意を。

  • #2

    今井一光 (火曜日, 10 1月 2012 09:14)

    有り難いお言葉、身にしみます。
    車両の運転に関して最近特に思うことは
    「うっかり」ミスが多くなったような気がします。
    特に冬は心も体も硬くて機敏な動きが億劫となって
    しまいます。
    ハンドルを握るときは細心の注意をはらわなくては
    ならないことを肝に銘じます。ありがとうございました。